文化ジャーナル(平成15年6月号)

2003年6月1日

文化ジャーナル6月号

創世ホール通信百号達成
記念メッセージ特集(2)

「創世ホール通信」百号達成記念メッセージを前号に続いてご紹介します。たくさん届いたので3号連載にいたします。文章は殆ど全て原文のまま掲載しました。【編集部】

メッセージ◎小西昌幸様。昨日、2日間の名古屋授業から戻りました。竹内さんの講演会も盛大に催された様ですね。お疲れ様です。/「文化ジャーナル」で村上昭美さんのことを知り大変驚きました。小生が大きな講演会が初めてで、ちょっとあがっている待ち時間を、村上さんの自然なフォローとお話で、あわてずにマイクの前に立てたことを思い出します。まだお若いのに残念なことです。お悔み申し上げます。長谷邦夫(漫画家)*当メッセージは4月10日小西宛に届いた電子書簡を長谷先生の許可を得て掲載しました。

記念メッセージ◎徳島の三大名物は《阿波踊り・渦潮・すだち》と言われております。小西さんにお会いしたとき、確認をしました。/「小西さん。 徳島には色々と有名なものがありますよね」「はい、あります」「まずは  《阿波踊り》ですよね」「うーん。そうでしょうか」「えっ。違いますかね 」 「私はあまり踊らないですから」「ああ、そうですか。・・・・《渦潮》は有名 ですよね」「私はあまりみないです。目が回りますから」「はあ。そうですか。・・・・《すだち》は」「それほど食べないです」「それじゃあ、小西さんの考える徳島三大名物って何ですか」「《創世ホール・海野十三・先鋭疾風社・徳島謄写印刷研究会》でしょうか」「小西さん、4つもありますよ。まあ、いいですけど。・・・・《創世ホール》はやっぱり有名ですか」「ええ、有名です。私の周りでは・・・・」「まあ、そうでしょうね。・・・・《海野十三》は」「私の周りでは有名です」「はあ。・・・・《先鋭疾風社》ってなんですか」「先端的硬派雑誌『ハードスタッフ』を出版しています」「ああ、小西さんが作っている雑誌ですね。・・・・一応、三大名物ですから《徳島謄写印刷研究会》は外しても いいですかね」「えっ。そうですか。残念です。私の周りでは有名なんですが・・・・」「じゃあ、徳島五大名物ということにして《創世ホール・海野十三・先鋭疾風社・徳島謄写印刷研究会・小西昌幸》としましょうか」「あのー、小西昌幸は恥ずかしいので外してもらえませんか」「そ、そうですか 」「その代わりに《徳島アイルランド音楽愛好会》を入れていただければ幸いです」「はあ、わかりました」/徳島の五大名物は《創世ホール・海野十三・先鋭疾風社・徳島謄写印刷研究会・徳島アイルランド音楽愛好会》と言われています。・・・言われているかなあ。/「創世ホール通信」百号おめでとうございます。旭堂南湖(きょくどう・なんこ 講談師)

創世ホール通信百号記念メッセージ◎小西さんとは随分前に『地域創造』という雑誌の座談会でご一緒したことがあって、その座談会は、広報誌をテーマにしたものだったのですが、司会者や編集担当者を含め、集まったものはすっかり小西さんの語り口にはまってしまい、その座がいつの間にか小西さんの独演会へと変貌していました。その時の印象に残っている言葉のひとつに「1人1ミニコミのすすめ」というのがあって、これは今やインターネット上で現実のものとなっていますね。でも、肝心なのは道具や技術や予算とかではなくて、何かを始めようと思ったその時の気持ちをいかに持続させるかってことなんですよね。そうすることで、生まれてくる価値もあるのだということを教えてもらったような気がします。百号まで40もある、うちの「HVS通信(碧水ホール・ボランティア・スタッフ通信)」はまだまだ甘いですね。百号って数字はすごい。おめでとうございます。 上村秀裕(碧水ホール学芸員、滋賀県甲賀郡水口町)

小西くんへ◎いつも通信を送ってくれて、ありがとう。東京の都心部から殆ど出ないので、一度も目にしたことのない創世ホールの活動を想像して、少々あきれております。いや、そのしぶとさと、わがままぶりに。/1970年代に東京などの大都市で学生生活を送った少なからぬ人たちが、故郷の町に戻って喫茶店やライヴハウスやシネマテークを始めました。今でも各地にその夢のはるかな残骸といっていい場所や、驚嘆すべき粘りづよさで根を張り続けている人々を見ます。実は私も、音楽雑誌や飲み屋空間や山谷の労働者街、果てはパレスチナにまで出没し、最近では大学非常勤講師などというものになりすましキャンパスを乗っ取るなど、転戦につぐ転戦をくり返してきました。/好き勝手なことをするのは面白いけれど、実のところなかなか大変です。かつて学生の街だった新宿や神田も含めて、東京は金と権力を持つ者に占拠されきっています。唯一のアジールだった本屋やレコード屋もいまや全く例外ではない。/なぜか私は夏目漱石にゆかりの深い界隈に長い間住み続けているのですが、かの文豪を鬱病にした「白茶けた、すべてをのっぺらぼうにする力」は今もますます健在です。それどころか、その力に抵抗する心すら、ビートたけし、福田和也といった輩に盗まれようとしている。/まさにこの点で、60~70年代の最高にアングラな部分をしぶとく発掘し、ほじくり返し、どこまでもわがままに継承していこうとする小西くんの仕事に感心しております。これは、例えば坪内祐三のような、わけ知りの金持ち息子には絶対できないことです。どうかご自愛を。 平井 玄(音楽文化論)

メッセージ◎長く続けることが大切だとわかっていても、なかなか思うようにいかないのが常なのですが、「創世ホール通信」が百号を迎えることを聞きその想いを強くします。/北島町と関わりのない僕はイベント面はとばして「文化ジャーナル」を楽しく読んでいます。B4サイズ1枚というきわめて限られたスペースの中で、多種多様な文化情報をわかりやすくかつ興味を喚起するように発信し続けられるのは、ひとえに小西昌幸君の力量だと思いますが、目に見えないところに北島町立図書館・創世ホールのスタッフの方々の努力があって、小西君は支えられているはずです。そしてそのうしろに北島町の人々の応援があることはいうまでもありません。北島町はきっと住みやすい人々の仲のよい町なのでしょう。/これからも長く続くことを祈っています。小宮山博史(佐藤タイポグラフィ研究所代表)

メッセージ◎継続は力なりとボクは思っている。小西さんは相当したたかな人だ。その成果が微弱であろうと盛大であろうと、続けることによってできあがってくる確固たるものを、ずっと先まで見すえて、たんたんとやってしまう。/唄い出してすぐ小西さんと出会って二十数年、お互い相も変わらず、同じことをめざして出会いをくり返している。/「創世ホール通信」が届くたびに、小西さん、元気でやってるなあと、励まされてしまうボクだが、まだまだいろいろやりたい「欲張り根性」は、人が集まる本当の楽しさは「出会い」だということを確かめたいだけなのかも知れない。遠藤ミチロウ(歌手)

メッセージ◎遅ればせながら百号へのお祝いを兼ねて一筆いたします。/小西さんの卓越した行動力や「創世ホール通信」の充実ぶりについては、すでに多くのかたから讃辞が寄せられていることと存じます。かく言うわたしも、小西さんの、控えめに見えて芯は超積極的なお人柄に惚れこんでいるひとりですが、今回は勝手ながら私的な回想のみに話題をしぼらせていただくことにします。/はじめて四国の土地にわたしが足を踏み入れたのは、いまから四十一年前の一九六二年夏、建立されたばかりの海野十三碑(初代)に詣でるため、SF仲間の筒井康隆、豊田有恒、高斎正、土屋秀夫の四氏を誘って総勢5人で御地へ押しかけたときです。まだ大鳴門橋はむろんのこと、新幹線すらない時代で、急行列車と連絡船を乗りついでの旅でした。/建碑を推進された佃実夫氏(故人)に迎えられて参詣を終え、夕刻には氏の同人誌「四国文学」と「宇宙塵」の合同会合。夜はちょうどシーズン三日目だった阿波踊りを見学して現場の熱気をフルに体感し、そのまま図々しくも全員で佃さんのお宅にころがりこみました。翌日は観潮船で音に聞く鳴門の渦潮を堪能しつつ帰路につきました。/古い話をむしかえして恐縮ですが、思えばそれがご縁で、のちに小西さんともお近づきになれたのですから、あだやおろそかにはできません。(その話をはじめるときりがなくなるので、詳細は『JU通信◎復刻版』の七九~八一頁をご参照ください。)/それ以後、徳島へは二度参上し、その都度何から何まで小西さんにお世話をかけています。一回目は一九九七年の夏、新しい海野碑を訪れるのが目的でしたが、ひきつづき「鳴門市ドイツ館」に案内され、日本における「第九」発祥の地がそこであることを知りました。二回目は九九年十月、創世ホールで講演会をというお誘いに甘えての訪問で、これは私にとってSF大会などを別にすると久しぶりの晴れ舞台でした。翌日は鳴門市在住のSF作家川島ゆぞ氏のご案内で、あの「大塚国際美術館」をじっくり見る機会を得ました。おかげで二回とも、すばらしい思い出をわたしに残してくれました。/小西さん、本当にいろいろありがとうございます。これからもお元気で活動を続けられますように。柴野拓美(SF同人誌「宇宙塵」代表)

この興奮、更に次号に続く!

●次号→木部与巴仁、南陀楼綾繁、久山信、前澤陽一、天瀬裕康、志村章子 他が登場!●

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