文化ジャーナル(平成15年7月号)

2003年7月1日

文化ジャーナル7月号

創世ホール通信百号達成
記念メッセージ特集(3)

メッセージ◎「創世ホール通信」百号おめでとうございます。そして百回の叱咤激励ありがとうございました。私にとって毎月の通信は、あなたはこの一ヵ月人心に益する事を為しましたか、夢は枯れていませんかとの問い掛けでした。怠惰な私はこの10年間小西氏の紙背に突き通るが如き筆圧の激文 に尻を叩かれ歩んできた様なものです。北島町並びに創世ホールの益々の 御発展をお祈りするとともに、今後とも御指導、御鞭撻よろしく御願い致します。西村 明(酒游館、滋賀県近江八幡市)

私の妄想通信◎中井英夫の「人外境通信」、高橋悠治の「水牛通信」と並ぶ、《日本三大通信》の1つ「創世ホール通信」の通算百号達成おめでとうございます。一口に百号といいますが、個人作業でこれほどのレベルでの百号達成は、そんじょそこらのハリボテ出版社がベルトコンベアで作った雑誌の千号や二千号ごときとは値打ちが違います。「創世ホール通信」は現界では1枚のコピー用紙でありますが、霊界では総革総金装丁の、古今未曾有の万巻の大宝典となっておるのです。/類例のない講演会や文化的行事を次々と立案し成功させる企画力の基礎は、ミニコミ誌『ハードスタッフ』の発行 で培ったものでしょうし、さらにたどれば少年時代からの「面白そうなもの」すべてに対する独特の嗅覚でしょう。霊界では、巨人・小西昌幸の名は、キリシタン大名の小西行長、『週刊釣りサンデー』会長の小西和人氏と並び《日本三大小西》として歴史に刻まれておるのです。どうか現界での健康にも十分ご留意ください。林 敬(四国放送)

百号記念メッセージ◎「創世ホール通信」百号おめでとうございます。初めの一号がなければ百号に至らず、途中の五十号がなければ百号に至れないことを考えたとき、改めて継続することの大切さを噛みしめます。小西さんとは、氏が名古屋の大学生であり、私が東京の大学生であった頃からのつきあいです。もう二十五年も前になる学生時代、小西さんが主宰されるミニコミ誌『ハードスタッフ』を手にしたことが、今の私の大部分を作っているといっても過言ではありません。私は小西さんに影響を受けました。その『ハードスタッフ』が形を変え、より広範な人々に届けられているのが「創世ホール通信」でしょう。紙のメディアに依らず、人々の声と思いを直截伝えようとするのが創世ホールにおける催しでしょう。小西さんの志は、もう何年も前から継続されています。組織の中での活動ですから、よき理解者にも恵まれているのだと思います。小西さんの人徳の賜物としかいいようがありません。木部与巴仁(きべ・よはに 作家)

熱情と私事と◎以前、デザイナーの杉浦康平さんと小西さんのことを話したことがあった。その時、杉浦さんは創世ホールでの講演を引き受けた理由を次のように話してくれた。「小西君からものすごく長い手紙がくるんだよ。ぼくのことをむやみと詳しく知っているし、やたらと熱心なんで、こりゃあ行かざるを得ないなと思ったよ(笑)」。それを聞いて、創世ホールのイベントが常に成功する理由がわかったような気がした。カネよりも熱情でくどき落とされた講師は、当然ハナシに力を入れる。そして、聞き手もまたそれを受け止める。だから、自治体が広告代理店にだまされて開くようなイベントとはまったく違う、熱気ある場が生まれる。/有名・無名にこだわらず、「今、このヒトに会いたい」という思いが小西さんの企画の原動力だ。純粋な「私事」が周囲を巻き込み、いつしか「仕事」に転化していく。思えば、大学在学時から20年続けたミニコミ『ハードスタッフ』のときから、小西さんのやっているコトは変わっていない。5年以上前になるが、ぼくは同誌のことを聞くために徳島を訪れ、図々しくも小西さんのお宅に泊めてもらった。次々とでてくる本や雑誌、レコードとそれにまつわるエピソード。小西昌幸独演会のような一夜だった(そのごく一部は、串間努編『ミニコミ魂』晶文社、に収録)。/「私事」を「仕事」にしたいぼくにとって、小西さんは大先輩である。これからも、「創世ホール通信」やその他の活動に励まされつつ、自分の活動を続けていきたい。南陀楼綾繁(なんだろう・あやしげ 非営利ライター)

百号記念メッセージ◎「創世ホール通信」創刊百号おめでとうございます。私は創世ホール主査の小西昌幸さんが北島町の広報担当だった時代に仕事を通じて知り合い、その後も趣味の音楽を通じて10年近くお付き合いさせていただいています。小西さんを見ていつも思うこと、それは「情報は情報を発信する人のところに集まる」ということです。「創世ホール通信」での小西さんのきめ細かな仕事ぶりは皆さんよくご存じのことと思いますが、その他にも新聞、機関紙など多種多様なメディアを通じた精力的な執筆活動にはいつも感心するばかり。その結果、小西さんの周りには貴重でホットな情報が集まる情報循環の輪が出来上がっているのです。私は小西さんに恩義があります。昨(2002)年6月27日、もっとも敬愛するミュージシャンであるJ・エントウィッスル氏が急逝しました。その訃報がロンドンでも、東京でもなく、徳島から届いたことを私は生涯忘れることはないでしょう。前澤陽一(社団法人日本広報協会編集部次長、元THE WHO FANCLUB会長)

おめでとうございます◎「創世ホール通信」の百号達成、お慶び申し上げます。いつも楽しみに拝読しております。日本の役所はとかく職員の個性や専門性が抑圧されてしまうものですが、この通信には小西昌幸という個人の精彩がみごとに躍如としています。記事で拝見する北島町立図書館・創世ホールの運営にも同様の自在さが感じられ、まだ見ぬ北島町の闊達な風土にまで思いが及ぶ次第です。このたびは館長にご就任との由ですが、今後も徳島県を拠点に多彩なネットワークを構築し、お役所の枠を越えたお仕事で全国の地方公務員にひとつの範を示していただきたいものです。いや、小西さんが範になるのはちょっとまずいか。ともあれお元気でご活躍のほどを。またいつかJR徳島駅近くの思い出の居酒屋さんでお会いできればと思っております。中 相作(名張市立図書館嘱託)

メッセージ◎ついこのあいだ、山田風太郎最後の忍法帖といわれる『剣鬼喇嘛(ラマ)仏』所収の「伊賀の散歩者」という短篇を読んだのですが、いやはやなんとも。主人公は江戸川乱歩の実在(?)のご先祖さまなんですが、全篇これ乱歩の主要作(はてさて何作になるものやら)のパロディなんですね。ここ何回かの創世ホールの企画から推して、通信の読者には乱歩ファン・風太郎フリークも多いんじゃないかなと思って書いてみました。ともあれ「創世ホール通信」百号達成おめでとうございます。久山 信(隠居)

メッセージ◎謹啓。第百号拝受。ありがとうございました。興味ある情報を満載したこの通信をいつも楽しみにして待っているのですが、それにしてもここまで続けるのは大変な情熱の要る仕事ですよね。『新青年』研究会の一員として2年前の5月に、海野十三先生に関して講演する機会を与えて下さいましたときの、小西さんの行き届いた気配りのことなど、つい先日の出来事のように思い出されます。今年は旭堂南湖さんの講談や、作家・芦辺拓さんとの対談などが企画されている由、気楽な席で拝聴させて頂くつもりですが、ともあれ、百号達成を、心よりお慶び申し上げます。天瀬裕康(大衆文学研究家、『新青年』研究会会員)

「創世ホール通信」へのメッセージ◎私には不思議でなりません。創世ホール、そこの主である小西昌幸さんの仕事の数々が。/先日も、私同様、小西さんを知る方と、創世ホールや小西さん、百号も続いた「通信」のことを噂したばかりでした。不思議の内容は、まず小さな町の図書館の文化施設「創世ホール」の催し物が多彩かつマニアックなことへの驚きです。音楽、文学、映画、アニメ、エトセトラ。いくつポケットがあるのやら。次々に出てくるプランには脱帽です。/四国の大ならざる町の北島町立図書館もすごいけど、町の方々もすごい。小西さんというユニークな公務員をささえ続けてくださったのだから。先日の噂話のときも、2人で「とても私たちの町では考えられませんよネ」とうなづきあったところです。/私が小西さんとお近づきになったのは、小西さんの関心分野のひとつ、鳴門市のお宝であるドイツ館のガリ版資料を介してでした。今では、小西さんは、私のガリ版友達の大切なひとりです。/そのうえ、私の父が『新青年』の寄稿者であったことや、海野十三とプリントゴッコなどで知られる理想科学工業の創業者・羽山昇氏のつながりなどで交流も深まりました。小西さんは、乾信一郎著『「新青年」の頃』(早川書房・刊)に我が父・松下富士夫の思い出がつづられていることを伝えてくれた人でもあります。乾は、「まじめくさってシャレ作りの名人だった」と書いています。私は父と6歳で死別したので、「新青年」の乾編集長の弔文から、父の面影をしのびました。/いま、私が望んでいるのは、近い将来、北島町に出かけて多様な文化を発信し続ける「創世ホール」の観客になることです。百聞は一見に如かず、といいます。そうすれば、小西昌幸さんの《舞台》や仕事そのものを実感できるにちがいありません。長い間、 抱いていた《不思議》も氷解するでしょう。/これからの仕事に期待を込めて。志村章子(ガリ版文化史・研究者)

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