文化ジャーナル(平成15年11月号)

2003年11月1日

文化ジャーナル11月号

東京訪問日誌/2003・10・26-27

2003年10月26日(日)7時40分徳島空港発の飛行機で東京へ。

10時。新宿紀伊國屋書店本店1階で木部与巴仁(きべ・よはに)氏と待ち合わせ。紀伊國屋斜め前にある中村屋の喫茶部マ・シェーズに入り、来年2月28日の講演会「伊福部昭・時代を超えた音楽」についての打ち合わせをした。

  • 講演会は、木部氏を講師に2月28日14時から90分間開催する。木部氏は、音楽家についての講演会なので自分のギャラを削ってその分で2人のプロ演奏家を登場させたいといった。2人の演奏家とは戸塚ふみ代さん(ヴァイオリン)、木須康一氏(ピアノ)。2人とも愛知県の人。木須氏はフリーの演奏家で、戸塚さんは名古屋フィルハーモニー交響楽団に所属しておられる。
  • 講演会の構成としては、まず木部氏の講演(1)のあと木須氏のピアノ演奏で「盆踊り」(「日本組曲」から)、続いて木部氏の講演(2)、それから戸塚氏と木須氏の演奏で「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ」、続いて木部氏の講演(3)という構成である。木部氏は立ったまま、マイクを手にして講演をする。
  • 催し前日の2月27日昼前に3人が徳島入りし(木部氏は東京から、戸塚・ 木須両氏は名古屋から)、会場下見とリハーサルを行なう。講演会終了後 、2月28日夕方の飛行機で3人は帰路につく。飛行機や宿舎等の手配は3人にお願いする。
  • 催し当日について。開場後は、伊福部先生のギター音楽のCDを静かに流す。講演終了後に流す音楽は今後協議。
  • 木部氏は現在『伊福部昭・時代を超えた音楽』という書き下ろし単行本を準備中であり、可能なら北島町創世ホールの講演会当日に合わせて刊行したいという計画をお持ちである。要するにもっとも早くこの本を読めるのが、徳島県北島町の創世ホールの会場ということになるのである。このことだけでも非常に話題性に富んでいるので、館としてもぜひ実現して欲しいと願っている。過去の2作『音楽家の誕生』『タプカーラの彼方へ』同様、ボイジャーからのオンデマンド出版になる。当日はボイジャー代表の萩野正昭氏も徳島入りされるはずなので会場ロビーでそれらも販売し、木部氏にはサイン会もしていただきたいとお願いした。
  • チラシ等の伊福部先生の写真は、札幌の勇崎哲史さん撮影のものを使用させていただくことになった(勇崎さんは伊福部先生の義理の甥〔勇崎さんのお父上が伊福部夫人アイさんの兄に当たる〕で、木部氏とも小西とも面識のある方だ。札幌でゼブラ・プラネッツという企画会社を運営し、ご自身がプロ・カメラマンでもあり、平凡社から豪華写真集も刊行している)。
  • 11月中に、木部氏のプロフィール、木部氏による伊福部先生のプロフィール、戸塚・木須両氏のプロフィールと写真をお送りいただく。
  • 木部氏と伊福部先生が並んだ写真もあるとのことなので、それが発見されればチラシか当日パンフレットで使用する。
  • 伊福部先生には、小西が今回の催し全般について改めてお願いの書簡をお送りする。
  • ピアノのメンテナンスは2月26日にする。ピッチは442。

11時半。小田急線新宿駅から急行で向ヶ丘遊園駅へ。駅から徒歩約20分のところにある川崎市岡本太郎美術館へ。同館で10月11日から開催中(2004年1月12日まで)の展覧会「肉体のシュルレアリスム/舞踏家土方巽抄」を鑑賞した。19日に急死された元藤アキ子さん(土方夫人)のことを思いながら場内をみて歩いた。入魂ということばがふさわしいような素晴らしい気迫のこもった、行き届いた展覧会であった。土方は、伊福部先生の弟子の今井重幸氏のところに居候していた時期がある。また伊福部先生の夫人のアイさんは舞踊家だった。当然土方の師匠筋とのリンクや接近遭遇はあったはずで、この視点で少し調べるのも面白いかもしれないと、私は思った。

展覧会場では「東北歌舞伎計画」のヴィデオ映像なども大きなスクリーンに流していて、たっぷり堪能できた。8時間ぐらい滞在していたいような、高揚した気分になった。ミュージアム・ショップで、図録を購入。この図録がまた充実している。土方巽と暗黒舞踏研究で今後欠かせぬ資料となるだろう。ほかにはポストカードや慶応大学の土方巽アーカイヴ発行の資料冊子もあった。後の日程があるので、13時45分美術館を撤収。15時過ぎ、新宿ワシントン・ホテルにチェック・イン。

17時。新宿紀伊國屋書店本店7階エレベーター前。ポプラ社・田中治男会長、瀬名堯彦氏と合流し、中村屋へ。少し遅れて池田憲章氏も来て4人で会食。18時半過ぎ解散。

19時。再び新宿紀伊國屋書店本店7階エレベーター前。石戸圭一氏、末永昭二氏、島本光昭氏と合流し、ライオンへ。ここで約3時間滞在し解散。石戸氏から、氏の主宰するいぬん堂から発売されたCD2枚(曲馬館「泪橋哀歌・夢魔と狂騒」、オルケスタ・デル・ビエント「風の旅団劇中音楽集」)を直接購入した。

10月27日(月)9時新宿駅南口で木部氏と待ち合わせ。2人で渋谷に向かう。渋谷から代官山へ。

野坂さん(左)と木部氏(右)

10時、木部氏の案内で野坂惠子さん(箏曲演奏家)のご自宅を訪問。2月29日開催の「伊福部昭の箏曲宇宙~野坂惠子演奏会」の打ち合わせをした。1時間と少し滞在し、さまざまなお話を聞いた。野坂さんは実に明るくて朗らかな方だ。実際の年齢よりも10歳以上いや場合によれば20歳ぐらいお若く見える(私は自分と同年代かと思ったほど)。

伊福部先生が文化功労者、ご自身が紫綬褒章を受賞することが決まったが正式発表は数日後とのことだった。最近ギフト・ショップからカタログがうんざりするほど届いているとの由。

演奏会は伊福部先生の記念演奏会なので和服でしてくださることになった。20センチの平台を用意する。音響効果の面から座布団も毛せんも不要。音は生音(なまおと)なので音響反射板を用意する。3面の箏と着物のトランクを2月27日必着でお送りいただく。

野坂さん、小宮さんそれぞれの写真は、近日中に郵送していただく。プロフィールや最近のリサイタルのパンフレット資料等を頂戴した。野坂さんの写真も少し撮らせていただいた。

11時半。木部氏と代官山の駅のそばの喫茶店で軽食を取った。この後木部氏は声楽のレッスンへ。私はJR五反田駅に向かった。

13時。五反田駅1階改札口。竹内博さんと合流し、池上の四至本アイさん宅に向かった。四至本アイさんは大伴昌司さんのお母さんで今92歳。お一人で静かな住宅街で暮しておられる。今 年3月に開いた竹内博さんの講演会 「3人の怪獣王~円谷英二、香山滋、大伴昌司」の際に「ウルトラマン」の台本等貴重な大伴さんの遺品を館に寄贈いただいたので、そのお礼を直接お目にかかって伝えたかったのである。

大伴さんは、36歳という若さで世を去ったが、その仕事は時を経ても忘れ去られることはない。氏が手がけた『少年マガジン』の巻頭グラビアだけでも3巻ものの選集が以前に出ているし、その仕事の全貌は簡単に手に負えるようなものではないのだ。アイさんから外国で暮らしておられた頃のことや、大伴氏が生前「自分は40歳までに死ぬんだ」と語っていた思い出話などを聞かせていただいた。

アイさんは、昨年シナリオ作家協会の「大伴昌司賞」の記念パーティで感 謝状を贈られたとのことで、そのときの様子が掲載された『シナリオ』誌 (昨年の号)もお見せいただいた。

帰りの飛行機のこともあるので、1時間足らずで辞去した。アイさんは門の外まで出て、私達を長いこと見送ってくださった。

この日竹内さんとは、四至本家の近くの公園と五反田駅そばの喫茶店で合計1時間ほど話をした。氏は講演会の後パソコンを買ったという。もっぱら検索やオークションを覗くために使用しており、原稿はこれからも手書きでやって行くつもりだといった。私達は、インターネット世界の無責任な匿名性の問題や軽薄な文章や資料的価値の問題などを話しあった。きちんとした印刷資料を大切にしたいということで私達は一致した。そして来年2月の催し「伊福部昭・時代を超えた音楽~木部与巴仁講演会」「伊福部昭の箏曲宇宙~野坂惠子演奏会」に対する激励を受けた。この日19時05分羽田空港発の飛行機で私は徳島に戻った。おそらく間違いなく生涯の思い出となるであろう濃密な2日間だった。

(2003・11・02脱稿/北島町創世ホール・小西昌幸)

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