文化ジャーナル(平成16年1月号)

2004年1月1日

文化ジャーナル1月号

講演会「伊福部昭・時代を超えた音楽」

講師・木部与巴仁(きべ・よはに)氏に聞く

小西●木部さんと私は20年以上前に知り合いました。木部さんのガリ版ミニコミ『イレギュラー』で私がインタビューを受けたのが初対面でしたね。

木部◆新宿歌舞伎町の、今はない喫茶店「スカラ座」で『ハードスタッフ』編集者としての小西さんを取材したことを今でも覚えています。話題は、大林宣彦監督の映画「転校生」について、などでした。私はそれから1週間、毎晩「転校生」をみるために、映画館に通いましたよ。

小西●そういう出会いがあって、このたび私の企画で木部さんが創世ホールの舞台に立つことになった訳です。感慨深いことです。

木部◆持続がもたらした結果だと思います。小西さんが、大学を卒業して、公務員になると聞いた時は、正直なところ、ピンときませんでした。しかし、創世ホールのお仕事などを拝見して、公務員といっても、こういう行き方があるのかと、考えを改めました。私の方が、どこにも就職できないフリーの人生で、これでよかったのか、いや、これしかなかったんだと自省を繰り返す歳月です。書き手としての持続だけはしていますけれど。

小西●講演会の日に合わせて演題と同タイトルの本『伊福部昭・時代を超えた音楽』を自費出版されるということですが、進行状況はいかがですか。

木部◆12月20日に入稿したところなので、ページ数は不明ですが、四百字詰  原稿用紙に換算して、本文295枚の分量です。伊福部氏に関する1作目の『音楽家の誕生』は700枚以上、2作目の『タプカーラの彼方へ』は500枚 以上ですから、ずいぶん少なくなり

ました。でも、中身が薄いという感じはしないと思います。書き始めたのが2002年の7月ですから、刊行までに約1年半かかることになります。細かい直しはもちろんですが、入稿前に 約3か月をかけ、丸ごと書き直しています。正直いって疲れますね。でも、これが伊福部氏について、まとまったものを書く最後の機会ですから。力は尽くしました。

小西●公共ホールの講演会にあわせて書物が出版されるなどというのは、極めて珍しい。また、講演には愛知県のプロの演奏家お2人による、音楽演奏もつきます。これは木部さんがギャラの大半を削って、特別に企画されたものです。館にとって光栄なことなのですが、木部さんはどうしても貧乏とおさらばできないですね(笑)。講演会について宣伝してください。

木部◆自費出版なんかしているから貧乏なんですね。今回の講演で何を話すのか、それはまだ分かりません。考えていないということではなく、本としての『時代を超えた音楽』はもちろん、『音楽家の誕生』とも『タプカーラの彼方へ』とも違った、語りとしての表現をしないと意味がないと思うのです。本を読めば分かることを、話が上手でもない私が語っても仕方がない。下手でもいいから、創世ホールの舞台でしかできないことを実現したいと思います。そのひとつが、実際の演奏家による、伊福部作品の鑑賞です。CDにはCDのよさがありますが、生の演奏というのは一回きりの機会ですから、その緊張感を味わっていただきたいと思います。翌29日の野坂惠子さんの演奏会も、非常に内容のあるものです。

小西●木部さんは plan-Bで80年代にお仕事をされていたので、土方巽さんにも会われているんですね。土方さんはどんな方でしたか。また土方さんの追悼公演に木部さんが伊福部ご夫妻を招待されたと聞いていますが。

木部◆土方さんにお目にかかったとき、私はまだ22、23歳だったので、その存在をひたすら受け止めるしかありませんでした。色々な意味で怖い存在でした。誤解を恐れずにいうと、肉体による闘い、言葉による闘い、精神による闘い、そのすべてが彼の周りにはありましたから。土方氏に関する書物が何種類も出ていますが、そのどれも読む気にならないのは、土方氏ご本人の記憶があまりにも強烈で、それを上回るものなどないと思うからです。唯一、吉岡実氏の『土方巽頌』(筑摩書房)は、それが評論ではなく詩人・吉岡実の作品であるという点で、私は繰り返し読んできました。伊福部氏は、土方氏の踊りをおそらく理解しないでしょう。発想の土台がまるで違うと思いますから。その根拠は色々ありますが、話が長くなるので、ここでは申し上げられません。土方氏の追悼公演で、大野一雄さんの舞踏をご覧になりましたが、伊福部氏はよくわからないとおっしゃっていました。

小西●黒沢明さんの作品論や作家論など研究書は物凄く多く出ています。伊福部さんについても、印刷物がもっと出版されるべきだと思いますね。

木部◆モーツァルトやグレン・グールドのように、伊福部氏も多くの人に、いろいろな観点から語られればいいと思います。これは自戒を込めていうことですが、私のような書き手が、表現ということを意識した場合、印刷物にまさる手ごたえを持つものはないと思います。それはガリ版でもいいわけです。片やインターネットが普及して、電脳空間というものが身近になっています。電脳空間を使った表現、執筆活動も考えられます。私も、『タプカーラの彼方へ』と『時代を超えた音楽』は、私自身のサイト《kibegraphy.com》に連載した文章をもとにして作りました。しかし、ぎりぎりに煮詰めていく段階になると、もうサイトには発表できません。あくまでも紙の上に、ペンで一字一字を刻んでいく作業になります。印刷物と電脳空間は、性格も役割も違うのでしょう。そこを見極めていかないと、とんでもなく安易なものになってしまいますね。

小西●全く同感です。ところで、催しのチラシにいただいた木部さんの文章 で「日本狂詩曲」や「日本組曲」など70年も前の作品なのにいまだに新発 見がある、とあります。そのあたりについてお聞かせください。

木部◆『日本狂詩曲』の第二楽章「祭」には、札幌にある北海道神宮の祭囃子「萬燈(まんど)」が使いこまれています。『日本組曲』の第二番「七夕」は、笹の葉ではなく化粧柳に短冊を飾る、伊福部氏が十勝の音更(おとふけ)町で体験した七夕を背景にして創られています。そうしたことは伊福部氏の胸にのみあって、これまでほとんどの人が知りませんでした。恥ずかしいことながら、私も同様です。しかし、それを恥と思わずに追究していく開放的な姿勢が必要でしょうね。

小西●『伊福部昭の芸術』5集や7集を聞くと戦前の作品には既に戦後の純音楽や映画音楽で聞けるような主要なメロディが随所に散りばめられています。非常に新鮮です。今は亡き花田清輝が「人は生涯をかけて1つの歌を歌うのだ」という趣旨のことをいいましたが、その言葉を想起しました。

木部◆花田清輝の言葉には共感します。ただ本音をいうと、純音楽と映画音 楽の関係をどう語ればいいか、これはまだ分かりません。純音楽については語れます。映画と映画音楽についても語れます。しかし、小西さんがおっしゃったような、純音楽のモティーフが映画に使われていること。これが意味するものは何でしょう?映画音楽の世界での実験を、純音楽の世界で作品として表わすといったことでしょうか。例えば、邦楽器とオーケストラの協奏が、どのような効果をもたらすか、など。そのようなことも今後、誰かによって研究されるべきかもしれませんね。

小西●伊福部作品は純音楽の他に、映画音楽や舞台音楽などもCD化されていて、膨大なカタログがあります。ダンス音楽ももっと音源がCD化されるべきだと思います。まだまだ探求の余地はあるので様々な角度から、多くの人が真剣に取り組むべきだろうと思います。私は海野十三先生の資料復刻を手がけているので特に感じるのですが、伊福部さんの北海道関係の 新聞記事や写真資料を徹底収集した文献刊行も誰かが手がける価値は大いにあると思います。慶応大学の土方巽アーカイブのような路線で。

木部◆私もたくさんの資料を集めました。古書店をまわったり、新聞社の資 料室に通ったり、あるいは伊福部氏が卒業した札幌の高校、旧制の中学に行って戦前の資料を探したり。しかし、原稿を書くことと、資料を整理して、例えば公開したりすることとは別ですね。特に私は、資料の整理が下手でして・・・・。本1冊書くために要した資料は、本ができた後は廃棄してもいいという、いささか危険な考えすら持っているのです。ごめんなさい。 小西さんの考えとは違うと思います。人を生かすのは何かということを考えた場合、どうしてもそこに考えが行ってしまうのです。もちろん、それは私の話であって、伊福部氏の資料を整理することの意義は、じゅうぶんに感じています。ご安心ください。

小西●最後に読者にメッセージを。

木部◆つたない話かも知れませんが、つたない内容にはいたしません。名人芸は見せられませんが、心にある真実が届くように努めます。一度で届かなければ、2度3度と繰り返します。それでも駄目なら・・・・・・。闘いに終わりはないと申しておきましょう。

小西●どうもありがとうございました。2月に徳島でお会いしましょう。

(2003・12・25/電子メールで取材/質問・文責=創世ホール・小西昌幸)

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