文化ジャーナル(平成16年3月号)

2004年3月1日

文化ジャーナル3月号

伊福部先生卒寿記念祭企画担当者日録(上)

2月28、29日に当館で開催した《伊福部昭先生卒寿記念祭》は、1日目の木部与巴仁氏講演会「伊福部昭・時代を超えた音楽」が約100人、2日目の野坂惠子さん演奏会「伊福部昭の箏曲宇宙」が約210名の入場者だった。内容は素晴らしいもので、企画者として大満足している。今号と次号で催し前後の企画担当者日録をお届けする。(文責:創世ホール/小西昌幸) 


2004年2月26日(木)

◎早朝から調律士B氏来館。終日、ホールのピアノ・メンテナンス作業。

◎9時半、北海道音更(おとふけ)町の町長さんからファクシミリのメッセージが届く。そのすぐ後に同町広報広聴課の加藤義徳氏から丁重な電話。私はコメツキバッタのように、電話口でぺこぺこ頭を下げてお礼を伝えた。

◎同町は伊福部昭先生のお父上がかつて12年間村長を勤められ、伊福部先生が幼少時を過ごした重要な思い出の地だ。その縁で、音更町歌は伊福部先生が作曲しておられるし、2002年には「伊福部昭を讃える音楽記念碑」が町に建立されている。私はその夏に同町を訪問し、伊福部音楽の熱心な愛好家である同町教育委員・南出さん始め役場関係諸氏に大層お世話になった。それで卒寿記念祭には同町のことを少しでも宣伝させていただきたいと考えて、協賛団体に加わっていただいたのだ。音更町は私の意を汲んで、今回熱いメッセージを長町名でお寄せ下さったのである。大きな催しに立ち向かうとき、企画者には常に不安が付きまとう。しかし、こういう激励が届くと勇気がみ なぎるのだ。ただちに町長と教育長にこのことを報告。メッセージを500 部印刷し、2日間のプログラムに挟み込むことにした。

◎午後、印刷所から2日分の当日プログラム到着。今回は2日連続の催しのため、印刷物の版下制作作業は通常の倍の分量となったので、大変だった。だがやっとここまでこぎ着けた。チラシ類の挟み込み作業も2日連続なので、2倍の手間と時間が必要だ。体力との戦いとなること必至。

◎このところ、あいた時間は催し当日にロビーで販売する物をビニール袋に詰める仕事をやり続けている。今回、野坂さんや伊福部先生のCDや木部氏の書籍のほか、札幌の勇崎哲史さん(プランナー、カメラマン、ゼブラプラネッツ代表、伊福部昭先生の義理の甥)の特別提供で、「伊福部昭の世界」(1984年、札幌)と「伊福部昭音楽祭」(1997年、札幌)のプログラム冊子が20部ずつ届いており、それを各500円で販売する。貴重品なので完売は確実だ。

◎木部与巴仁(きべ・よはに)さんに電話。印鑑持参の念押しと、催し当日の昼食の件。寿司盛り合わせよりおにぎりがよいとの由。夜、お弁当屋さんを覗いて研究するが、おにぎり2個入りで二百数十円。激しく悩み結局注文できず。

2月27日(金)

◎朝、徳島空港へ。名古屋空港からの第一陣、戸塚ふみ代さん(ヴァイオリン奏者)と木須康一氏(ピアニスト)を出迎える。ロビーで雑談し羽田からの木部氏搭乗便を待つ。定刻通り木部氏の乗った飛行機着。

◎創世ホールに向かう。会場下見と打ち合わせ。木部氏が持参したスクラップ資料を、プログラムと一緒に入場者に手渡すことになった。A3サイズに両面印刷し、それを4つ折りするようにという指定だ。さっそく印刷作業に突入。だが、はたして折りたたむ時間が作れるだろうか。

◎昼食時にうどん店へ3人をお連れする。途中木部氏の発案で小西宅に立ち寄り、応接間の蔵書などを見せる。3人は私の母にあれこれあいさつをしている風だった。

◎午後、川竹道夫氏、小山建夫氏来館。明日の舞台進行の協議。木部氏一行はホールで音楽演奏と講演の通し稽古に突入(7時間費やされた)。演奏付きということもあるが講演会の通し稽古など、初めてのことだ。

◎その間私は2日分の催しの弁当手配に走ったり、販売物のチェック作業、プログラムにはさむチラシ類の点検作業に没頭。おにぎり弁当は五百数十円の特製を作ってもらうことで合意に達した。

◎16時過ぎ、北海道からきた山田雄司氏を迎えに松茂バスターミナルへ。山田氏は強力な助っ人である。彼は今日から小西宅で三泊する。2002年の夏、北海道訪問したとき彼に札幌から片道5時間かかる音更(おとふけ)町までずっと車でご案内いただいたのだ。彼は、アイヌの歌い手である安東ウメ子さんと親しく、我々の伊福部先生音楽碑見学ツアーには安東さんも同行された。

◎思いついて販売物に値段シールを貼り付ける作業を開始。

◎20時過ぎ、5人で徳島市内へ。ホテルでチェックインしたあと食事。当初の私の構想では昨年竹内博さんをお連れしたお好み焼き屋さんに行く予定だったのだが、ゲネプロが長引いたため予定変更を余儀無くされ、結局しゃぶしゃぶの店に。割り勘で1000円程度で済ませるという訳にはいかなくなった。申し訳ない。10時頃解散。私は山田氏と川内町のあいあい温泉でくつろぐ。

◎帰宅後、深夜までかかって値段シールを作った。

2月28日(土)

◎9時、山田雄司氏を乗せて木部氏ご一行の泊まっている宿舎へ。予定では、会場に直行する段取りだったが、木部氏が「海が見たい」というので、小松海岸に行った。海岸は大変のどかで、すっかりなごむ。あと数時間で決戦が始まるような実感が沸かない。これは果たしてよいことなのだろうかと考えていると、午前中にやるべき仕事がまだまだ残っていることを想起し、心の片隅に焦燥が芽生えはじめる。いよいよ自分はイベントの神に翻弄され始めているのだと思う。ふと見ると木部氏は、すたすたと波打ち際まで行き、はだしになると着物の裾を上げて海の中に入っていった。山田氏の携帯電話を借りて、会場入りが少し遅くなると図書館に伝える。本当に大丈夫だろうか。不安を隠しつつ海岸で記念撮影をして出発。少々焦ったが、後から思えば結果的には海でなごんだことが私の緊張もほぐしてくれることになり、よかったのだ。

◎10時05分、創世ホール到着。ハイビジョン・シアターでのビデオ上映会が11時開始なのですぐ準備。山田氏には木部氏制作のスクラップ資料の折りたたみ作業を頼んだ。木部氏、戸塚さん、木須氏は3階ホール控え室へ。札幌から今日おこしになる勇崎哲史さんから電話。「今、羽田空港のバスに乗っているが、同じ飛行機で伊福部達(とおる)ご夫妻も徳島に向かうようだから、お知らせしておきます」。大変なビッグ・ニュースだ。伊福部達氏は、伊福部昭先生のお兄さんの息子さんで東京大学の教授。この飛行機には、勇崎氏、達ご夫妻のほか、野坂惠子さん、小宮瑞代さん、八尋健生氏(不気味社。アカぺラ男性コーラスで伊福部楽曲を演奏しCDにしている)が乗っている。当該機は物凄く濃厚な伊福部先生ゆかりの人たちを運ぶ極めて重要な航空便なのだ。明日は同じ便で、伊福部玲さん(伊福部先生ご長女、陶芸家、神奈川県厚木市)が徳島入りされる。大きなうねりが見えてきた。

◎10時55分、2階ハイビジョン・シアターで木部さんが「北の交響曲」について解説。11時、ビデオ上映開始。観客は全部で8名。

◎11時05分、川竹道夫氏来館。私が動けないので、空港での出迎えは川竹氏にお願いしている。伊福部達ご夫妻もお迎えして欲しい旨、依頼した。野坂先生と小宮瑞代先生は徳島のお弟子さんである藤本玲さんが迎えてくださることになっている。川竹氏に「勇崎哲史様、不気味社・八尋健生様、伊福部達先生ご夫妻」と書いたプラカード+卒寿記念祭のチラシを空港で掲げていただくようにお願いした。

◎11時半。お弁当屋さんに昼食弁当を取りにゆく。昼食を、3階控え室(出演者)と、1階事務室用(本日到着する野坂先生やボランティアで駐車場係をしていただく勇崎氏、山田氏)に仕分け。

◎12時。エレベーター前の案内告知の貼紙を忘れていたので大急ぎで作った。ハイビジョン・シアターの上映が終わったので電源を切りにゆく。

◎12時20分。他に忘れていることはないだろうかと、ホールや事務室を往復して点検している内に、川竹氏の車で勇崎氏や伊福部達ご夫妻が到着。間もなく野坂先生たちも藤本玲さんの車で到着。不気味社の八尋氏と名刺交換。八尋氏は、非常に折り目正しい人で、おまけにイケメンのナイスガイである。野坂先生に「こちらが不気味社の方です」と紹介すると、大喜びされていた。3階控え室に上がり、木部氏に野坂先生たちが到着された旨を伝えた。そこへ「小西さんにお客様です」といって呼ばれたので、1階事務室へ。香川県からはるばる駆けつけてくださったM氏だった。M氏はれっきとした肩書を持つインテリなのだが、趣味で四国ゴジラ組合という特撮愛好団体を作っており、昨年の竹内博さん講演会に仲間を引き連れて参加くださった熱い友情の持ち主なのだ。今回の催しでも、ホームページの表紙画面に催しのチラシ画像を大きく掲載し宣伝してくださっている。M氏を野坂先生に紹介。「野坂先生、この方は、四国ゴジラ組合のMさんです」。野坂先生は「まー、不気味社の次は四国ゴジラ組合ですか」とカラカラと微笑む。実に楽しそうである。この催しを企画して本当によかったとしみじみ実感した。

◎13時。CD販売をお願いしているFレコード店専務到着。泣いても笑っても後1時間で木部氏の講演会が開幕となるのだ。(この興奮次号に続く)

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