文化ジャーナル(平成16年5月号)

2004年5月1日

文化ジャーナル5月号

伊福部昭先生卒寿記念祭 こぼれ話

2004年2月27日(金)◎3月号に書いたように、木部与巴仁(きべ・よはに)さんたち3人は徳島では1泊2日の滞在で、催しが終わったら当日夜の飛行機ですぐ帰還という日程だった。じっくり話せるのは27日夜しかないのだが、その食事をどうするか考えて、お好み焼き屋さんにお連れしようと、私は何となく思っていた。しかし通しリハーサルが長くなってそれは不可能になったため、徳島駅前のC百貨店の食堂街に行ってみた。ところがそこは殆どゲームセンターと化していて、しゃぶしゃぶの店があるだけだった。初日の昼食はうどん、本番の日は夕方徳島ラーメンを食べていただいたので、徳島のお好み焼きもぜひ食べて欲しかった。これが何とも心残りである。

◎北海道早来(はやきた)町から、はるばる夜行列車でやってきた山田雄司氏は小西宅で3泊された。初日の夜木部さんたちと食事した後、私たちはあいあい温泉に寄ってから23時過ぎに帰宅した。すると、母が「夜8時頃、警察から電話があって、図書館を今から開けて開架室の写真を撮らせてくれないかといわれた」という。後で全貌がわかったのだが、この日の昼間、親子間のトラブルで、子どもが親に携帯電話で脅迫メールを送るという人騒がせないたずら事件があって、それが図書館の中からだったという。それで実況検分のために写真を写しておく必要があるということだったのだ。結局、職員のK君が21時頃図書館まで出向いて対応してくれたのだった。私はその頃、しゃぶしゃぶの店で、木部さんたちと伊福部音楽について語り合っていたのである。明日から2日間の大事な大事な本番を控えているというのに本当に人騒がせなことだ。催しを進めていると本当に色々なことがあるものだ。

◎ヴァイオリンの戸塚ふみ代さん(名古屋フィルハーモニー交響楽団)は、江戸川乱歩作品に登場する明智小五郎のモデルになった講談師・神田伯龍の実弟の直系に当たる人だ。乱歩ファンならご承知のとおり、明智探偵の妻の名前が「文代」なのである。戸塚さんに、ご両親はそのことを知って名前をお付けになったのでしょうかと質問したが、偶然でしょうというお返事だった。偶然としてもそれはやはり不思議な符号なので、面白いと私は思う。

◎木部氏の講演会「伊福部昭・時代を超えた音楽」には大きな話題性があった。それは、講演会の日に合わせて氏が同タイトルの単行本を刊行し、初売りが創世ホールのロビーになるというきわめて珍しいケースだったことだ。本の見本が到着した時点で私は県内マスコミ各社にファクシミリを送り、取材要請をした。徳島新聞松茂支局のS記者が取材にやってきて、書影も撮影して帰られたのだが、残念ながら記事にはならなかった。S記者は早目に記事を書き書影写真と共に本社地方部にも送ってくださっていたので、残念がっておられた。どうも、本社サイドで掲載のタイミングを様子見している間に当日がきてしまい未掲載になったようなのだ。パブリシティ展開が本当に水物であることを痛感した。28日は、オウム事件麻原判決の記事が紙面を埋めていたのでそんな事情もあったのかもしれない。直前の新聞記事が観客掘り起こしにつながることは大いにあるので、本当に残念なことだった。改めて木部さんにお詫びしておこうと思う。また、S記者が後日しきりにぼやいていたことも報告しておきたい。

2月28日(土)◎実は、創世ホールは音楽会などを開く場所としては建物の機能面で多くの欠点を抱えている。原因は設計者がホール建設に不慣れだったためとしか言いようがないのだが、一例をあげると舞台裏に空調のパッケージ室が設置されている。従ってホール内の冷暖房のスイッチを入れると、その機械音が会場内に響くために、静かなクラシック演奏会の場合はノイズが耳障りになるのである。だから本番では空調のスイッチを切らなくてはならない。2月末、2日間にわたって開催した伊福部先生卒寿記念祭のときも、音楽演奏のときは空調を切っていた。冬場だから、そんなことをすると「会場が寒かった」とお叱りを受けるのだがやむを得ないことなのである。

◎木部さんの講演会は全体で約2時間。その中で音楽演奏があるのは2回、最初の「盆踊」(演奏時間約5分)が講演開始後30分ぐらいで入り、「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ」(演奏時間約20分)がラスト40分ぐらいのところで繰り広げられる。講演会は昼間の開催なので、私は会場の体感温度で判断して可能なら暖房をかけずに行こうと決めていた。仮に暖房をかけるなら「盆踊」終了後の講演パートでやるべきだろうと考えていた。 ◎私は最前列でいたのだが、やはり少しずつ冷えてきたので暖房が必要と判断、木須康一氏による「盆踊」ピアノ独奏が終わり再び木部さんの講演になったところで、そっと会場を抜け出して事務室に向かった。実は空調スイッチを入れるためには1階事務室に行かな ければならないのである。これも設計の不備が原因しているのだ。

◎私が1階の事務室で暖房のスイッチを操作していると、そこに木須さんが降りて来た。「あのー、爪切りはありますか」。ピアニストなので指先のコンディションに気を使っておられるのだ。大あわてでみんなで捜したが、結局事務室に爪切りはなかった。それで臨時職員のYさんが大急ぎで家(近所)に帰り、控え室に届けた。Yさんは、ご自宅から3種類の爪切りとドイツ製のやすりも持ってきたらしい。大サービスである。ハンサムな木須氏が喜んでくれたので、Yさんの顔がほころんでいたことはいうまでもない。

◎色々と問題のある施設だが「音の響きやピアノの状態がとても良い」と木須・戸塚ご両名からお誉めの言葉をいただいたことは特筆しておきたい。

2月29日(日)◎ロビーでの販売物として、木部氏の本と、野坂惠子さんと伊福部先生のCDをずらっと並べたが、その他に不気味社のCD5種と、北海道で開催された伊福部先生のイベントのプログラム2種も販売した。前者は八尋健生氏(千葉県)、後者は勇崎哲史氏(札幌市)の納品である。どちらもほぼ完売。貴重なものを来場者に提供できて本当に良かったと思う。

◎勇崎氏提供のプログラムは「伊福部昭の世界」(1984年、札幌)と「伊福部昭音楽祭」(1997年、札幌)で、各500円で販売した(それぞれ20部の納品)。当初勇崎氏は、「売れないと思うから木部さんの本を買った人にプレゼントしてくれても良い」とおっしゃっていたのだが、無料にするのはあまりにも もったいないので、販売することにしたのである。値段も800円でも1000 円でも良かったのだが、勇崎氏の「極力安く」というご意向を汲み500円 にしたのである。創世ホールのイベント参加者は本当に幸運だった。

3月1日(月)◎朝7時。勇崎氏から電話。9時にホテルに迎えに行くことになった。山田雄司氏が8時過ぎ松茂発の高速バスで梅田に向かうので送ってゆき、そのまま徳島駅方面に直行。この日伊福部玲さんと八尋氏が12時台、勇崎氏は16時台の便で徳島空港を出発される。3人とも駅周辺の宿舎なので順番に拾ってから《ギャラリーのきは》(徳島市庄町)へ向かった。

◎《ギャラリーのきは》は、佐藤恵子さんが運営されていて、例えていえば『季刊銀花』路線の渋いギャラリーなのである。前日、卒寿記念祭に佐藤さんが来てくださり(打ち上げにもご参加いただいた)勇崎氏やと玲さんとも親しくなっていたので、1時間強の滞在だったが、有意義な訪問になった。

◎11時半頃《のきは》を出発。玲さんと八尋氏を空港へ送ってゆく車中、私は助手席の勇崎氏と、催しを企画することについてあれこれ語り合った。以前、紀田順一郎先生に「書物と人生」という演題で講演していただいたとき、依頼の手紙で、物集高見(もづめたかみ)・高量(たかかず)親子の『広文庫』と70年代に入っての同書復刻のエピソードをぜひ話して欲しいとお願いしたこと、復刻談判時の名著普及会社長のせりふが大好きなのだとお伝えしたこと、講演で紀田先生は『大漢和辞典』の諸橋轍次や『幕末軍艦咸臨(かんりん)丸』の文倉平次郎についてもお話になったこと、どのエピソードも研究者のひたむきな営為や努力の貴さを示したもので感動的だったことなどを、私は話した。玲さんは、それらの話を後部座席から身を乗り出してじっと聞いておられた。そして「父も物集さんのことを尊敬しています」とおっしゃった。この数日間で私は木部さんや勇崎さんとも話し合ったのだが、伊福部昭先生渾身の大著『管絃楽法』は、その刊行までの苦難などが諸橋轍次氏の『大漢和辞典』と似ているのである。伊福部先生も、また諸橋や物集の系譜に位置する近代日本の堂々たる教養人としてそびえているのだと思う。

◎2人を送った後、北島町内の中華そば店で昼食。勇崎氏に1984年の「伊福部昭の世界」のときの裏話などを聞いた。私が、自分は北冬書房の漫画はけっこう持っているが、北海道の漫画家で湊谷夢吉さんという若くして亡くなった方がいますね、とたずねると「『伊福部昭の世界』のプログラムの中のイラストは湊谷さんにも描いていただいてるんですよ」。80年代札幌の伊福部先生演奏会には北冬書房~『夜行』人脈も連なっていたのである。

◎その後、古書と荒物の店ソラリスへ。ソラリスの店長さんは、写真愛好家なので勇崎さんと話し込んでおられた。ソラリスの後、寺町に向かう。勇崎さんはお餅が大好きだそうで、徳島の銘菓《滝の焼餅》が気にかかるというので、お連れした。楽しい話がいっぱい聞けて面白かった。こうして夢のような数日間が終わった。(04・05・07脱稿/文責:小西昌幸/創世ホール企画広報担当)

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