文化ジャーナル(平成16年12月号)

2004年12月1日

文化ジャーナル12月号

怒涛の1週間日記/2004・11・22-28

2004年11月22日(月)7時40分、徳島空港発の飛行機で東京へ。メインの目的は、今夜千駄ヶ谷の津田ホールである野坂惠子さんの「伊福部昭作品による第20回リサイタル」の鑑賞だ。野坂さんからご招待いただいたのである。

12時過ぎ、中野ブロードウェイのタコシェへ。ここは非常に品揃えが優れた書店でCDやビデオもある。店番をしていた大西氏と雑談しながら店内を物色。上京の探求目標だった杉浦康平先生の『疾風迅雷』(トランスアート)と蘭妖子さん(元天井桟敷)のセカンドCDをいきなり発見し、ただちに購入した。この2点を一瞬で入手できることだけでも同店の優秀さが分かる。

16時JR千駄ヶ谷駅改札で作家の木部与巴仁(きべ・よはに)氏と待ち合わせた。津田ホールは駅前徒歩数十秒の位置にある。喫茶ルノアールで軽食。17時千葉の八尋健生氏(不気味社)が合流。2月の徳島の思い出話に花を咲かす。

18時半 津田ホールへ。野坂惠子さんリサイタル。490の客席は満席。私はIの18番、伊福部昭先生は前列Hの12番、長女の玲さんはHの11番の席だった。伊福部先生は車椅子で、玲さんが付き添っておられる。第1部は「交響譚詩」と「琵琶行」。第2部は「七ツのヴェールの踊り」と「ヨカナーンの首級(みしるし)を得て、乱れるサロメ」という構成で、いずれも超絶技巧の大作4曲である。「ヨカナーン」は伊福部先生の最新作でこの日が初演。全て壮絶な二十五絃箏との格闘であり民族と美と芸術の本源に迫る音楽作品だ。

1部と2部の間の休憩時間は20分あり、私は木部さん、甲田潤さん(東京音楽大学民族音楽研究所)とロビーでくつろいでいた。伊福部達(伊福部昭先生の甥、東京大学教授)ご夫妻もおられたので再会を喜び、雑談。

そんなやりとりをしているとき、木部さんのところに伊福部先生の使者の男性が来て「小西さんという方は、どこにいらっしゃいますか」と尋ねている。木部さんが「小西さんならここですよ」。使者の方は「伊福部先生が捜しておいでです。先生は玲さんと喫煙コーナーにいらっしゃいます」。私は大急ぎで喫煙コーナーに向かった。伊福部先生が何やら外国人の男性から話しかけられている。玲さんは「お呼びだてしてごめんなさいね。父が小西さんにお礼を言いたいと申しまして」。私は陶芸家の玲さんに、徳島の《ギャラリーのきは》での個展を楽しみにしていますよ、といった。

写真

玲さんが「小西さんよ」とお父上に伝える。伊福部先生から「徳島では随分お世話になって、本当にありがとうございました」といわれた。私は「先生、うんと長生きしてください。諸橋轍次さんも物集高量さんも長生きされましたから、音楽の世界では伊福部先生が百歳まで長生きしてください」、そういって握手をしていただいた。これ以上何を話すことがあっただろうか。先生の手は大きくて優しかった。その後玲さんが、せっかくだから並んで写真を撮ってもらいましょうといってくださり、3人で写真に収まった。

演奏会が終了し、なりやまぬ拍手の中、野坂さんが舞台に登場した。野坂さんは、マイク無しで「今日はアンコールよりも伊福部先生のお声を聞いていただくのが良いと思います」と微笑んでご挨拶。そしてホールのスタッフから客席の伊福部先生にマイクが届けられた。先生は支えられながら立ち上がり「本日はおこしいただきまして誠に光栄に存じます。今、演奏された野坂さんは、パンフレットにもあるように、インドのラヴィ・シャンカールのように、日本を代表する楽器を世界に通用するものにしようということで取り組まれてこられました。今日は見事な演奏で私も感心しております。とにかくおこしいただいて本当にありがとうございました」と話された。終演後ロビーで野坂・小宮両先生に挨拶、伊福部先生を交えて記念写真を撮った。それから、木部氏、木部氏の知人の主婦S氏、八尋氏、不気味社社員A氏、伊福部達ご夫妻、小西の7人でレストランに行き、23時過ぎまで歓談。

23日(火・祝) 西新宿のレコード店から飯田橋の印刷博物館へまわり、丹念に見学して徳島に戻った。印刷博物館は面白い所だ。毎回来たい。

24日(水)アイルランド音楽演奏会前日。アンケート用紙などを印刷。音響照明担当ボランティア2人が来館、会場設営。午後から徳島市の芸術ホール建設検討専門者会議に出席。明日コンサート本番なので物凄く気ぜわしい。会議を終え超特急でホールに戻り、諸準備。やるべきことが多く、結局立看板は作れず。明朝に回すことに。夕方、遠藤ミチロウ氏から電話があり、来年1月9日に2階ハイビジョン・シアターで演奏会をすることに決定。帰宅してから実行委員会メンバーと電話で協議。PA機材等、前回と同じ条件で取り組むことに決定。忙しくて目が回りそうだ。

25日(木)「北島トラディショナル・ナイト8/アイルランドの風」当日。朝からプログラムへのアンケート挟み込みやら看板作りやらであっという間に時間が過ぎてゆく。16時半、出演者ご一行(ジャッキー・デイリー、守安功、守安雅子、北村剛の各氏)会場入り。江富写真館さんによるリハーサル風景の記録撮影も順調に終了。18時前、私は守安さんに次のような質問をしてみた。「昨年のザ・リフィ・バンクス・トリオの方々は開演前に五百ミリリットルの缶ビールを所望されたのですが、皆さんは必要ないですか」。すると、守安さんは「ジャッキーはイタリアの赤ワインの、○○○○○がお気に入りなんです。できたらそれを」。私はその銘柄を繰り返しつぶやきながら、しばしの思案の後、M酒店に向かった。しかし、すっかり舞い上がっていたため、車を走らせている途中でワインの銘柄をきれいさっぱり失念してしまった。何ということだろうか。こうなったら店の若旦那M氏に聞くしかない。氏はワイン通として知られていて、店には百種類以上のワインがあるのだ。Mさん、お店にいてくれて良かったですよ、実はかくかくしかじかで、そういう訳で大急ぎで買って帰らないといけません、ところが銘柄を忘れてしまいました、そこをなんとか1つよろしく。M氏は、イタリア物はこのあたりですよ、といってワインの瓶を取り出してくれた。そして何と、これがご指定の銘柄のものだったのである。私はコルク栓を開けてもらうことも忘れなかった。ワイン探索の行程は出発から帰還までで全20分もかかっていないが、物凄く緊張する出来事だった。催し本番前に、私はワイン探索でエネ ルギーを使い果たした気分になった。演奏会の入場者は250名だった。こ の催しも、民族と美の本源に迫る演奏会だった。打ち上げは昨年同様《セント・パトリック》で開催。私は、幸福を噛みしめ精神は高揚しつつも、身体はボロ雑巾のようになって、深夜帰宅した。

26日(金)インパクト出版会からメール便着。12月20日頃刊行予定の『音の力 〈ストリート〉復興編』に小西が参加した座談会20頁分が収録されるので、その念校だ。当該座談会は、大熊ワタルさん(音楽家)の司会で、小西と石橋正二郎さん(京都の自主レーベル、F.M.N.SOUND FACTORY 代表)が登場する。2004年4月20日に大阪梅田で収録したもので、創世ホールの自主企画が高く評価されている。全49点に及ぶ図版は編集部が選んだものだが、この中に創世ホールのチラシなどが10点も収録されていて、かなり深みのある展開になっている。編集サイドで座談会の内容を誠実に受け止めてこちらの予想を超えた掘り下げがなされた結果であり、感服した。すぐ電話をかけて「OK」を出す。編集担当は須藤さんという女性だ。世の中には、まだまだ優秀な編集者がいるのだ。完全に脱帽だ。こういう仕事には、嫉妬を覚える。自分も、負けないような質の高い仕事をしようと改めて思う。

27日(土)つのだたかしさんから、本(波多野睦美+つのだたかし『ふたりの音楽』音楽之友社)とCD(波多野+つのだ「優しい森よ」パルドン・レコード)が届く。お2人の足跡が良く分かるすばらしい書物と音楽作品だ。

28日(日)今日、鴨島町にマヘル・シャラル・ハシュ・バズ(愛媛松山を拠点に活動する国際的バンド)が来て昼夜2か所で演奏することになっている。そのチラシ制作の相談は私が受けたのだが、昼間はホールの仕事があって動くことができず、夜は疲労で動けず。残念の極みとは、このことだ。アア!

それにしても怒涛と呼ぶにふさわしい、記録的に多忙な1週間だった。

【2004・12・03/文中一部敬称略/文責=創世ホール・小西昌幸】

このページの
先頭へ