文化ジャーナル(平成18年10月号)

2006年10月1日

文化ジャーナル10月号

『まんがNo.1』の時代(4)

長谷邦夫さん インタビュー

出■長谷邦夫(漫画家、大学講師、漫画論、栃木県在住)

席▲坂本秀童(徳島謄写印刷研究会代表、牟岐町出羽島在住)

者●小西昌幸(北島町立図書館・創世ホール企画広報担当)

長谷■『まんがNo.1』の凸版印刷の担当部署はね、何と電話帳を作っているところだったんだよ。どういうことかというと、電話帳の輪転機を回しているときに、ちょっとだけ時間が空くんですよ。

「どのくらいの時間で刷るの?」って聞いたら「うん、『まんがNo.1』だったら3、4時間で全部刷れちゃうな」っていうんだよね(笑)。要するに、職人さんがちょっと手が空いているときに輪転機回せばいいという。それで凸版が引き受けてくれたの。

小西●空き時間の有効活用のつもりなんですね。

長谷■そうそうそう。ところがさ、そこにむずかしい仕事が舞い込んだでしょ。だから凸版の奴も困ったと思うんだよね、横尾忠則 の表紙なんでね。やっぱり技術的困難があると思ったから「口絵にして下さい」っていってきたんだろうね(笑)。

横尾さんもその辺は承知していて、その前に「製版の課長と面会 したい」っていう、そういう話もあった。だから僕と矢崎泰久と 赤塚とで、凸版本社に行きましてね、印刷の部長さんに会わせてもらったの。で、横尾さんの表紙をやるについて、複雑なコラージュをしたいんで、技術的な問題で製版課長さんにひとこと話がしたいと。

そうしたら、凸版の部長が怒ってさあ、「確かに印刷所からしてみればお得意さんかもしれないけど、赤塚さんや矢崎さんが来た からってね、うちのチーフである課長を社外に出すことはまかりならん。冗談じゃない」って断わられたの。「仕事は責任持ってやります。課長は部下をたくさん持っているし、横尾さん1人の仕事のために外に出すことはできない」ってね、ミニコミ誌に毛の生えたような漫画雑誌のために製版課長を出すことはできないっていうことでしょう。それでも成城まで連れてったのよ。

小西●えっ、結局連れて行ったわけですか。これは凄い。

長谷■不可能を可能にするんだよ、我々は(一同爆笑)。

「そんなこといったって、横尾さんが来いっていってるんだから行きましょう」ということでね。矢崎泰久もそういう点では強引だからね。

小西●凸版の部長さんは、しぶしぶ製版課長さんの外出許可を出したわけですね。

長谷■製版課長さんは若い人なのよ。技術者だから。30前後の青年で優秀な人だった。

坂本▲後々のことを考えると、その製版課長さんも、横尾さんの製版をやることで次の仕事のステップになるから。個人的にはね。

長谷■それは内心あったかもね。だから部長がゴタゴタいわなければすぐ行ってくれたかも知れないと思うんだけどね、とにかく部長が壁になっているからね。

だから製版課長には会わせてくれないのよ。向こうの言い分はもちろん分かるんだけど、それにうなづいていたら表紙ができない からね。(一同爆笑)

横尾さんが「いやだ」ってなったら、もう1回スタートし直しじゃない。だから凸版で土下座しようがさ、逆立ちしようがさ、とにかく今日成城で待っています。そういう状態なんです。だから行っていただきますって。強引に頼んで、それで連れて行っちゃったの。

小西●あのー、ここまでで、創刊号の表紙のところまでで、このインタビュー30分かかっております(笑)。

長谷■ハハハ。そのくらい大変な仕事だったんだよ。

坂本▲それで、2号3号以降は、別にトラブルなく順調にいったんですか?

長谷■いや、それがだんだんトラブっていくわけですよ。

坂本▲横尾さんの仕事が遅くなるということですか?

長谷■そうですね。原稿取りに行ったらね、何も出来てない。「長谷さん、どうする?」なんてケロッとしていうんですよ。(笑)


〔次号に続く〕

【一部敬称略/収録=2001年3月5日 徳島市・ふらんせ蔵/採録文責=小西昌幸】

まんがNo1の表紙4枚

▲『まんがNo.1』表紙集。左から3枚は創刊号(1972年11月号、日本社)の3枚綴り表紙。右端は第2号(72年12月号)の表紙。判型はB5。 表紙は全て横尾忠則さんのデザインによる。資料提供=サエキけんぞう

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