文化ジャーナル(平成19年1月号)

2007年1月1日

文化ジャーナル1月号

『赤塚不二夫のまんがNo.1 シングルズ・スペシャル・エディション』刊行を祝福する

長谷邦夫さん インタビュー

長谷邦夫(漫画家、大学講師、漫画論、栃木県在住)

小西昌幸(北島町立図書館・創世ホール企画広報担当)

小西●「文化ジャーナル」では2006年7月号から「『まんがNo.1』の時代」というタイトルで長谷先生のインタビューを連載しています。当館は2001年3月4日に先生の講演会を開催したのですが、その翌日に収録したものです。その折りも折り、ディスクユニオンから11月23日に『赤塚不二夫のまんがNo.1シングルズ・スペシャル・エディション』という大変な復刻企画が登場し、付録ソノシートの完全復刻CDとベスト・セレクション の部厚い本がセットになって出ました。私は共振現象に驚き、時代の渦に巻き込まれたようなめまいを味わいました。今号では特別に長谷先生に電子書簡インタビューをお願いして、この復刻企画を丸々特集して取り上げたいと思います。『まんがNo.1』は長谷先生が実質編集長を務められたカルトな雑誌でした。今回の復刻CDブックでは、先生は「監修」となっています。復刻に至る経緯を簡単にお聞かせ下さい。

長谷■「はてなダイアリー・長谷邦夫の日記」(インターネット日記)2005年10月4日を見ますと、《高平哲郎中心企画のLP「ライブ・イン・ハトヤ」のCD化が実現一歩 手前まで煮詰まったというB社からの連絡があった》、そして《『まんがNo.1』フォノシート企画もスタートしたというメールが 金野さんから来た》、ともあります。

 このB社はブリッジという会社でした。金野篤さんとは06年3月に渋谷ルノアールで初めてお会いしました。ですが彼は5月31日に退社します。企画を持って他社に移るということになったのです。ですから、ハトヤLPの企画が05年の中頃に持ち上がったということですね。

 これらの企画実現のための退社だったのかなと、ちょっと心配しましたよ。

小西●この種のアンソロジーの復刻企画は、ざっと考えてみても、著作権をクリアするために関係者を探し出して承諾を得る作業が大変になります。ひとえに、一人の人の熱意があってそれが伝わってこういうものは動き始めるのだと思います。仕掛け人の金野篤さんという方はどんな方ですか。

長谷■30年余りも経っていますから、その連絡先を探すだけでも大変ですね。ハトヤの件が田辺エージェンシーでタモリのOKは取れたようですが、でもまだ実際はまだゴーサインは出ていません。

 『まんがNo.1』の場合だって、陽水さんの「NO」を「OK」に持ち込む までには、金野さんのご苦労が相当あったはずです。陽水さんが長期のツアー・コンサートをやっていたりで、過去を晒し、吹っ切ることに時間が かかったかなと感じたんですが・・・・。それを断念せずに待つ情熱もお持ちかなと思います。

小西●情熱と、周到緻密な企画実現のための実務能力と粘り強さ、そしてお人柄もあるのでしょうね。復刻本には、詩人の奥成達さんと長谷先生の「解説対談」が収録されていて、とても面白く拝読しました。対談収録は 新宿だったそうですが、奥成さんと会われて懐かしかったのでは?

長谷■そう、前から会おうよと賀状などでいっていたんですが、ぼくの講師業スケジュールがネックになっていた。それが今回の企画で、ぜひ奥成さんと当時の状況を回顧したいとぼくの方からお願いし実現した。これも貴重な証言が得られてよかったな。

小西●復刻本を手にされたときの感慨は?

長谷■ 「ぼくって、なんてワルイことばっかり、勝手にやっていたんだろう!」ってことですよ。現在だったら、必ず「ヤメロ!」といわれるようなことばかりだもんね。

 赤塚不二夫が一度もスタジオ来なくてよかった。(笑)すべてを任せてくれたことに感謝感激ですね。大金を勝手に使ってしまったし。

小西●おかげでパワーをいただいているので、感謝します。タモリ(森田一義)さんも巻頭メッセージを寄せておられました。うれしいですね。

長谷■タモリね。随分会ってないけれど、こうした「遊び」こそ彼の原点だし、分かってもらえたと思います。あのとき、本が潰れていなければ、彼の「密室芸」もやりたかったなあ。これこそ今でも残したい。彼が生きているうちに 十枚ぐらい関係者に配って、「うひひひ~!」と笑う。最高の 遊びですよね。公開出来るか、出来ないか、という狭間でぎりぎりの「もの」を創るスリル。その度胸と根性が試されるんだ。

小西●私は、2006年9月に北島町創世ホールで、サエキけんぞうさんと「北島天水ナイト」という企画を仕掛けまして、坂田明さんのトーク・ショー と演奏を聞くという濃厚な催しをしました。サエキさんがトーク・ショーの中で『まんがNo.1』の実物を掲げたりして、いわば「北島天水ナイト」は長谷先生に捧げた企てでもあったんです。復刻企画は「天水ナイト」ともシンクロしているわけでサエキさんと驚いた次第です。長谷先生のご盟友の坂田明さんは本当に楽しくて素晴らしい方でした。

長谷■本当ですね。「何でシンクロしちゃうんだ!」って、驚いた。人の 想いが「時代の中で煮詰まる」みたいな現象かな。復刻版が予約販売にかけられた時点で完売し、サンプルまでそちらにまわしてしまいました、先生のところには来月お送りしますってディスクユニオンからメールが来たとき、聴き手や読者の皆さんの中にもその気分がすでに生まれていたんだと感じましたしね。そうした気分・気配を、それよりも早く感じて企画を進めている小西さんや金野さんのセンスがまたすごいんだ。

 坂田さんとも、一緒に何か作ってみたいです。彼の歌も素晴らしいし。

小西●実は創世ホールの講演会で2007年2月25日に池田憲章氏を講師に招いて、佐々木守さんの業績を顕彰することにしています。池田さんと二人で温めて来た企画なんですが、結局佐々木さんもちゃんと『まんが No.1』に登場されているのです。私は長谷先生の手の平の上で仕事をしているような感覚にとらわれて白旗を揚げたくなります。佐々木守さんについてお聞かせ下さい。

長谷■佐々木さんとの出会いも、これはぼくの映画への情熱から生まれたような気がします。赤塚も同じなんで、佐々木さんが若松孝二に会えと新宿ゴールデン街で言われたとき、すぐ会って赤塚に紹介したりしたんです。速記用の太い芯のシャープ・ペンシルを10本以上持っていて、猛烈な速さでシナリオを書くんだ、と言ってましたね。芯なんか削ったり補充したりがもどかしいと。そんなに速く書いても面白い作品ばかり!すごい才能でしたね。

小西●井上陽水さんの「桜三月散歩道」は、作詞が長谷先生で『まんが No.1』がそもそも最初の録音物なんですね。ナレーションの大野進さんがガラガラ声で、間奏部分で2か所、少年の叙情性を凄絶に歌い上げたような詩を朗読されます。私はあれを聞いてぞくぞくしましてねえ。なぜか泣けて泣けてたまらなかったんです。永遠の名曲ですね。

長谷■ぼくは18歳頃から現代詩を書いてきたんですが、そのきっかけを作ったのが古い友人の山本良一というパッケージ・デザイナーです。彼は高校2年生のときに出会ったんですけれど、彼と出会わなければ、あの詞は生まれていません。ぼくは半ばいやいやお付き合いで詩を書き、同人誌を作っていたのです。その内に詩が好きになり、山本がやめてしまっても詩を書いていた。後に奥成さんと知り合い、モダニズム詩にも影響を受けますが「桜三月~」は、ぼくの初期の感性が入っています。褒めすぎですよ。

小西●先生の近況をお聞かせください。編集者をテーマにした小説を、並行してたくさんお書きになっているようですが?

長谷■はい。今年、専門学校に小説コースが出来たので、大衆文学演習を担当させてもらっています。ですから、学生と共にというか、ぼくも書いているんだ!と、宣言し実行しました。9本並行して7本完成。お正月には全て完成すると思います。2本ともラストの部分だけですから。マンガ編集者たちをびっくりさせる小説ですよ。

小西●終わりに読者の人たちにメッセージを。

長谷■いつも熱心にお読みいただいて、深く感謝しております。老齢のため、もうたいしたことは出来ませんが、自己の好奇心に忠実でありたいと思っています。

小西●お忙しいのに、ありがとうございました。ますますご活躍下さい。

【敬称略/2006年12月16日電子書簡にて取材/文責=創世ホール・小西昌幸】

赤塚不二夫のまんがNo1の漫画

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