文化ジャーナル(平成19年6月号)

2007年6月1日

文化ジャーナル6月号

『まんがNo.1』の時代

長谷邦夫さん インタビュー

出■長谷邦夫(漫画家、大学講師、漫画論、栃木県在住)

席▲坂本秀童(徳島謄写印刷研究会代表、牟岐町出羽島在住)

者●小西昌幸(北島町立図書館・創世ホール企画広報担当)

小西●長谷さんは、編集しながら自作も発表されていますが、大変だったのではないですか?

長谷■うん、そうだよねえ。ある程度大変だったって気はするけど、若さの勢いですよ。何とかやっちゃたよって言う感じですね。

坂本▲長谷さんが発表されたのは『COM』に描いておられたようなものですか。

長谷■殆ど、そうパロディ・マンガです。もう苦し紛れでね。そういう仕事の延長なんだけども、山上たつひこさんに「ゴルゴ13」のパロディ頼んでいるのに、受けてくれないから僕が描いちゃうっていう形になったりね。

小西●最後の号の附録ソノシートが三上寛さん再登場で『ホイ!』という曲です。この時は三上寛という名前をそのまま出したんですね。

長谷■もう既成事実できたからいいだろうと、ね。予告にもう書いちゃったから。1号で、クレジット上は少年Aと書いてもみんな三上さんだと知っているから。

小西●これが1頁大でレコード予告が載って。

長谷■写真があるでしょ。だから、山下洋輔さんもいる。

小西●もう二度と集めることは出来ない顔ぶれですね。

坂本▲これが「ホイ!」という一声のために集まった人たちなんですか。

長谷■そう、一声のために。(笑)

小西●(笑)素晴らしいことですね。少年画報社の『ヤングコミック』の名物編集者の方がいますね。

長谷■副編集だった筧君だ。高信太郎さんの奥さん・キッコさんもいるよ。

小西●この写真が『別冊宝島70年代マンガ大百科』(1996年12年27日、宝島社)に使用されていますね。

長谷■そうそう、僕が取材された時に持って行ったからね。「これ懐かしいから載っけて」ってお願いした。

小西●この集合写真は本当に物凄いですね。日本のジャズ史やフォーク史、ロック史、漫画史を語る上である種、非常に象徴的な節目をなすものだと思います。サブ・カルチャーの歴史から見ると大変な集合写真といってよいものですよ。

長谷■このメンバーがなぜ集まれたかというと、奥成達(おくなり・たつ)の力だね。これは僕だけの力ではない。奥成達という個性というか彼の人脈ですね。普段のおつき合いもあったけれどというか、才能の発見者である奥ちゃんのおかげだなあ、という感じだねえ。

坂本▲奥成さんと高信太郎さんは親しいんですか?

長谷■うん。けっこうおつき合いありましたよ。そうだね、それは奥ちゃんと上村一夫さんなんかと飲み仲間で自然にマンガ界とつながっていったから。ただコーシンは皆で温泉ツアーに行き、飲んでると一人で騒ぐから「お前、あっち行ってろ」とか(笑)。でも面白いからすぐ舞い戻って来てさ。かまったりかまわれたりの仲なの。

小西●この雑誌の背表紙のことなんですが、途中で丸背から角背になっていますね。これは製本上の理由ですか?

長谷■日本社の事情っていうか、凸版さんの方でこういう風にしてくれないかなと、注文されたんじゃないかな。僕はその辺の技術的なことは分からないですが。厚さはそんなに変わっていないから、たぶん製本機械上の事情じゃないですか。だって電話帳印刷の空き時間に作ってるんだもん。背が角の方が早い。

小西●背表紙が丸背から角背になった件については、長谷さんからの製本変更指定ではないわけですね。

長谷■違います。それは全部おまかせでした。

坂本▲ページ数は、変わってないですもんね。

小西●『まんがNo.1』5号の終わりに《対談小説・長谷邦夫のウラのウラ対談/「まんがNo.1」の仮面をはぐ!!》という赤塚さんと長谷さんの対談が掲載されておりまして、これを拝読したのですが、これは先生がお一人で書かれた架空対談?

長谷■対談形式で僕が全部書いたものですよ。こういう遊びが好きでさ。

小西●ある程度抑制をきかせたトーンになってはいますが、要するに赤塚不二夫さんに対して「あんた、もう少しこの雑誌に関わってくれないと困るよ」と言おうとされているわけですね。

長谷■そうですね。僕のわがまま許していたら、この本売れないで潰れちゃう。赤塚責任編集なんだから、きちんと責任もってお前も編集プランをちゃんと出してくれよ、と。そのために学研の連載なんかやめちまえとかね、色んなこと言ったんだけど。『まんがNo.1』の仕事をやらずに、他社のつまんないマンガ描いてんだよね。駄作を他に描きながら、時間つぶして、肝心の『まんがNo.1』の方をやらないなら、それじゃあダメじゃないか!そう文句つけたわけです。何のために、夢を持ってね日本の『MAD』を作ろうって考えたんだよっていうことが、僕の気持ちだったんですね。あの人は、凄く好奇心が強くて、そのためならお金投げ出してくれる人だけど、すぐ飽きるというかね・・・・・・。好奇心は凄いけども、展開したとたんにもう飽きて、現場からトンズラしてしまうのよ。

坂本▲立ち上がったらもう手を離れたという感じですか。

長谷■そうそう、そうね。

坂本▲実際にこういう感じの会話はなさってました?

長谷■うん。言ってるんだよ、僕はね・・・・。だって僕しか言う人間はいないから。「こんな駄作マンガいらない!」って。だから嫌われた。

小西●5号のこの対談小説を見ると、暗雲が立ち込めてきたような雰囲気なんですが。

長谷■そうですね。そのときに僕はやめようかなあと思ったのね。赤塚がやらないんだったら意味ないしね。ぼくが編集企画で遊んでてもしょうがないし。僕にとっては楽しかったけども、僕自身の楽しみのためにフジオプロのお金使うのは僕もいやだったしね。毎号250万円ぐらいの赤字が積もって来てるのは分かってるわけだから。請求書は見ませんよ。請求書見なくてもだいたいのことぐらいは分かる。(一同笑)

小西●部数のことなんですが、創刊号はどれくらいお作りになりましたか?

長谷■これは日本社担当部分で、正確には僕は分からないけど、5、6万部だと思うよ。

小西●私はミニコミの世界の人間なので、どうしても万単位の部数は凄いと思ってしまうのですが(笑)。

長谷■いや、マンガ雑誌としてはね、10万部ぐらい刷らないとダメよ。他誌の殆どはその数倍以上だし。日本社の配本限界ってのがあるんだよね。実話雑誌のコードで、やっぱり5万部程度が限界じゃない?日本社の他のエロ実話雑誌と一緒に、トラックに乗せないといけないわけだから。〔次号に続く〕

【一部敬称略/収録2001年3月5日徳島市・ふらんせ蔵/採録文責=小西昌幸】

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