文化ジャーナル(平成19年8月号)

2007年8月1日

文化ジャーナル8月号

『まんがNo.1』の時代(13)

出■長谷邦夫(漫画家、大学講師、漫画論、栃木県在住)

席▲坂本秀童(徳島謄写印刷研究会代表、牟岐町出羽島在住)

者●小西昌幸(北島町立図書館・創世ホール企画広報担当)

小西●長谷(ながたに)さんが書かれた活字のページは毎号編集追い込み時期にやられたのですか。

長谷■そうですね。活字の部分だから最後の方だね。本当によく出来たよー、もう信じられない(笑)。全員素人同然だったからね。

坂本▲結局、『MAD』みたいなプロダクション形式では、やはり出来なかったということですか。

長谷■そうだね。それはしょうがない。『MAD』だって歴史をたどると最初からああいうシステムでやれたわけではないんだ。やはり一度分裂してるんだよね。

 要するにカラーマンガで高級雑誌に載せることを志向する連中と、活版モノクロでいいから面白いギャグネタでいこうという連中とに別れたんですよ。片岡義男さんが詳しいと思う。僕はあんまり深くは知らないんだけど。とにかく『PLAYBOY』の方に行っちゃった人なんかがいるわけです。

坂本▲よく『PLAYBOY』に色刷り漫画が載っていますね。

長谷■それで残りのメンバーがゲインズ社長のところに集まった。ゲインズという人はイタリー系だと、チラッと聞いた。やっぱり純アメリカ風ではないんだね。ああいう発想って。

坂本▲移民の人達の文化というか

長谷■プエルトリコ人漫画家が、英語が分からないからサイレント・マンガが許されたということですからね。何かアメリカ文化の中でアウトサイダーかも知れないね。

坂本▲それは結局、マイノリティだから出来たということがいえますか?

長谷■うん。底辺にあるかも知れない。『MAD』編集部に行って分かったことは、かなりビッグ雑誌なのに、マンガ家のスタジオと似たり寄ったりだったから。

小西●『まんがNo.1』に対する読者の反響はいかがでしたか。創刊してからお便りなどは来ましたか。

長谷■来ましたねえ。来たけど『まんがNo.1』が買えない、本屋に売られてないというお便りばっかりだったね(笑)。それで僕は最初からこれは潰れるなと思った。本を作って配っているはずなのに「先生、本屋さんに『まんがNo.1』がありません」という手紙が来るわけですよ。売れたのかなと一瞬思ったけど、本屋さんに無いっていうことなんだ。ということは、配本がうまくいってないということ。それが読者のハガキで分かった。期待している人に読んでもらえてない。後は、比較的凝った読者の方がなんとか『まんがNo.1』を見つけて買って下さった。だから10万部、15万部売るための読者獲得は日本社の限界もあって、流通ルートの開拓は駄目だろうということが見えてきたから。

小西●『まんがNo.1』の創刊告知とかPRは、他の雑誌媒体などでもおやりになったのですか?

長谷■けっこうやったんだよ。だって『少年サンデー』や『少年マガジン』の連載ページの中に、勝手に広告作ってさあ、『まんがNo.1』が出るって平気で書いたりしてるんだから。それで広告料払わないんだからねえ。本来は何万円とか規定があるはずでしょ。

小西●誠に痛快なことをおやりになっていたんですねえ。

坂本▲その広告、見たおぼえがありますよ。

長谷■だから何十万人という人が、この雑誌が出るのを知って本屋へ探しに行ってくれたはずなんだよ。(サンデー、マガジンには雑誌が出てから、彼らの広告を入れて、お礼しました。)

坂本▲でも、現物は見当たらなかったんですね(笑)。

長谷■あまり売ってなかったんだ。不思議なんだけど。殆どそういう手紙ね。

小西●配本ルートや雑誌コードの関係から、成人向け実話雑誌コーナーの片隅に置かれたのかも知れないですね。

長谷■そうなんだ。事実、日本社は当時は実話雑誌の専門出版でしたから。配本のコードがマンガ誌ではなかった。

小西●『まんがNo.1』は、これだけの遊び心と実験精神と猥雑なパワーみなぎる雑誌ですから、どこかの出版社が完全復刻版を考えたりしないのでしょうか。文化的価値も高くて、いい企画だと思うんです。十分元はとれるはずです。過去にそういう話は持ち込まれませんでしたか?

長谷■いや、ないですよ。去年初めて、柏書房の芳賀さん(当時社長)がたずねて来られて、そういうことが可能かどうかいってくれたんだけど。

これはね、新宿ゴールデン街のバーで、元編集者でナベサンっていう酔っ払うとすぐ殴りかかるようなマスターのいる店があって、そこにいる女性(後に彼の奥さんになった)が芳賀さんに「マンガのことだったら長谷さんの所に行かないと駄目だよ」って言ってくれたようなんですよ。

小西●後はソノシートの音源資料も大変凄いものですから、こちらも復刻されないでしょうか。

長谷■復刻出来ないね。★1

小西●マスター・テープの所在は?

長谷■マスター・テープは無い。僕の所に1つリールがあるけど、果たして音が入っているかどうか分からない。そのテープも袋に入れて押し入れのどこかに埋もれている。その他は、録音スタジオに行っちゃっているか、日本社かな。

小西●今、長谷さんが「『まんがNo.1』をもう一度やれ」って言われたら、どうされますか?

長谷■お金を出す人がいたらやるけど、そんなことは絶対ありえない。夢のまた夢よ。体力的にも僕一人とか、少数メンバーでは出来っこないしねえ。これは30代だから出来たんで。でも『老人まんがNo.1』でいいと言うんだったら(一同笑)。

毎月附録の音源の録音でスタジオに行ってたらさあ、あんまり僕らが冗談ばっかりやっているんで、プロのミキサーから「長谷さん、来月はナニワ節ですね」なんて言われてね(笑)。浪曲はありえないよー。でも琉球民謡はいいかも(笑)。

坂本▲赤瀬川さんのネーミングを借りて『月刊老人力』と言う雑誌をやれば売れますよ(一同笑)。

小西●こうして回顧談を聞かせていただいて来たんですが、休刊号を出されたときは、正直ほっとされたという感じですか?

長谷■そうだよね。もう、ドサクサまぎれもいいとこで、普段の仕事の合間のサイド・ワークだったから。普通、雑誌編集長はその仕事にかかりきりのものだけど、赤塚のアイデア・マンやるのと、自分のマンガ描くのと、それと『まんがNo.1』と。もう仕事の一部でしかなかったからね。

小西●それこそご自宅に帰る暇もなかったのでは?

長谷■1週間に、だいたい2日間・・・・。それも朝、突然帰って来るという(笑)。そんなことばっかりだった。息子たちには頭が上がりません。〔次号完結予定〕

【一部敬称略/収録2001年3月5日徳島市・ふらんせ蔵/採録文責=小西昌幸】

★1附録ソノシートの復刻極めて困難と思われた附録ソノシートの復刻CD化だが、2006年11月に実現した。ディスクユニオンから『赤塚不二夫のまんがNo.1シングルズ・スペシャル・エディション』として限定発売された。これはひとえにディスクユニオンの担当者・金野篤さんの熱意と執念のたまものといってよい。詳細「文化ジャーナル」2007年1月号参照。

長谷先生近影

▲インタビューに答える長谷先生

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