文化ジャーナル(平成20年4月号)

2008年4月1日

文化ジャーナル4月号

辻真先先生講演会を終えて●小西昌幸

2008年3月2日に開催した辻真先先生の講演会は全国各地から約200名が集まり、熱気あふれる充実の催しになった。50冊取り寄せていた辻先生の新著『ぼくたちのアニメ史』(岩波ジュニア新書)は完売した。その他の小説本もよく売れたので、全部で80冊以上売れたのではないかと思う。サインの列が50人以上続いたのも快挙である。

2月29日夜、自宅に本格ミステリ作家の芦辺拓さんから電話があった。そのとき私は遅目の夕飯を食べていた。電話口に出た妻から「芦辺さんという方からから電話。南湖さんの結婚式のときにお会いした作家の方かなあ」と受話器を渡され、私は大慌てで口の中のものを飲み込んだ。やはり電話は東京の芦辺拓さんからで、自分は辻真先先生に私淑している、ついては締め切り仕事が一つ片づいたので、日帰りで3月2日の北島町での講演会に行くつもりである、空港から会場までの距離はどのくらいありますか、という趣旨のお話だった。プロの著名な作家の方が、北島町の講演会を聞くために東京から日帰りで来てくださるというのだ。数年前に杉浦康平先生の講演会を開催した際、東京から飛行機でわざわざ日下潤一さんが講演聴講のため創世ホールにおこしになったのだが、それと同様の構図である。この種の反響は催しの企画担当者にとって奮い立つような出来事であり、物凄く勇気が湧くのである。そして自分が催しの神様によって動かされ、大きなうねりの只中で翻弄されていることを実感するのだ。私は電話口でひたすら恐縮したのだった。その夜私が芦辺さんの送迎プランを練ったことはいうまでもない。

大阪の浅尾典彦さん(SF研究サークル・夢人塔代表)は昨年に続いて創世ホール講演会に参加された。浅尾さんは講演会の前日3月1日に、京都みなみ会館のオールナイト企画「原恵一監督特集オトナ帝国の夜」で原監督とのトーク・ショーを行ない、明け方まで3本の映画上映に立会い(「河童のクゥと夏休み」+「クレヨンしんちゃん嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲」+「クレヨンしんちゃん嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦」)、その足で京都駅から高速バスで徳島入りされたのだった。そして偶然にもそのバスには、京都の出版社・松籟社の木村浩之さん(紀田順一郎先生の『幻想と怪奇の時代』、『戦後創成期ミステリ日記』を手がけた優秀な編集者)も創世ホール講演会参加のため、乗っておられたのだった。木村さんはアニメ「一休さん」に衝撃を受けたということで、チラシをお送りしたらすぐ日帰り参加される旨ご連絡をいただいていた。二人の乗ったバスは松茂に午前10時40分頃到着という段取りである。

一方、辻真先先生は鉄道で徳島入りされた。徳島駅到着は午前10時50分台であり、私がお出迎えすることにした。

ということは、私は松茂バス停には行けない。それで知人二人(北島町内のK井氏と板野町のM好氏)を送迎班ボランティアとして無理やり任命し、松茂バスターミナルへの出迎えを依頼したのだった。お二人は昨年の池田憲章氏講演会の際も送迎班+駐車場整理係をお願いした強力タッグ・チームである。さらにK井氏とM好氏には芦辺先生を空港に出迎えて欲しい旨お願いし、その上駐車場整理係もやっていただいた。もちろん謝礼はない。

実はK井氏は前日まで風邪で発熱していたことを後で知った。氏は講演当日は薬で症状を押さえ乗り切られたのだが、翌日職場で高熱を出し病院に行ったらしい。申し訳ないことである。

徳島入りされるVIP3人衆と送迎班は互いの顔を知らない。それで私は、A3サイズの大きな看板(「日本推理作家協会芦辺拓先生北島町創世ホール/辻真先先生講演会送迎班」などと記載)を作り、それを掲げてもらうようにしたのだった。

事前に辻先生へのインタビュー取材申し入れが2つあった。四国放送テレビ「おはようとくしま」とタウン誌『050』である。辻先生とも相談しながら、午後1時に別室を用意して四国放送テレビ、午後5時に控え室で『050』という取材日程を組んだ。

徳島駅の改札口で辻先生をお待ちしていると、到着した列車から愛媛のF原氏が降りてくるのが見えた。彼は日本有数の乱歩~探偵小説コレクターとして知られる人だ。氏は今年既に3回徳島の海野十三展におこしになっている。4度目の今日はもちろん北島町に来るのである。驚いているF原氏に、せっかくだから私の車で北島町に行きましょうと誘った。間もなく辻先生が改札に姿をお見せになった。隣のホテルクレメント徳島に荷物を預け、私の車で一路北島町を目指した。後部座席のF原氏は、以前熱海の辻先生の仕事場を山前譲さんの案内で訪問したことがあるということで、自己紹介をしている。辻先生は「ほう、あの時の方ですか」といった。

私は、辻先生に鬼太郎の公害三部作の感想などを話した。辻先生は、もう地球は手遅れだろうという趣旨のことを、淡々とお話しになった。つまり自分が作品に込めたある種の予言(例えば「原始さん」ラストで「いつか人間はきっと後悔するだろう」と原始さんに語らせた)のとおり、超大国の身勝手さが世界を滅ぼそうとしているのだという深い絶望の気持からおっしゃった言葉だと私は理解した。その他、北島町に大型ショッピング・モールと複合映画館ができたために徳島市内の映画館が全て潰れたこと、日本の県都で映画館がないのは徳島だけだということ、自分は北島町の人間だがやはりそれはよくないのではないかと考えている、というようなことを私は話したのだった。そうすると先生は常に静かに的確なコメントを発するのである。

先生が作品に託した深い怒りや絶望や祈りのこと、そして地球環境問題だけで1時間ぐらいの興味深いお話しが聞けたと思うが、車は15分ぐらいで北島町入りしたのだった。事務室には既に浅尾さんと木村さんが到着して談笑されていた。やがて、芦辺拓先生も到着。

これ以降のことはジェット・コースターのような出来事の連続だったため、順不同にメモしておく。F原氏と外出し軽い昼食を済ませた私はすぐテレビ取材の段取りをして午後1時、辻先生を取材会場にお連れした。「ボルテスV」の熱心なファンで高校生時代に東京まで出かけて辻先生に会われた徳島市在住の姉妹が来られたので事務室にお通しした。図書館カウンター前の辻先生資料展示コーナーには熱心なファンが集まっていた。事務室で少し時間の余裕があったとき、私は、ある教条主義的文芸評論の傾向に対して危ういものを感じるという意見を述べたが、ここではこれ以上は書かない。

辻先生の講演は、ユーモアを交えつつ優しいお人柄のにじんだ口調で進行した。その中身はとてつもないエピソードのパレードなのだった。物凄い出来事の数々が淡々と語られるのだ。ある種の仏像に、悟りを開いた修行僧の言葉が空中で仏様になって連なっているものがある。同様に先生が語るアニメ史や熱い青春の日々についての言葉は宝石の様にきらめいていた。言葉がそのまま空中に消えてゆくのが、本当にもったいなくてたまらなかった。

約十の項目を各5-10分ぐらいで語っていただけたら講演会の90分はあっという間に過ぎ去るだろう、そして恐らく全て語ることなく時間切れになる可能性が高いのではないかと事前に私達は話し合っていた。だから午後4時20分が来たら(講演開始100分に達したら)まとめにはいって下さいと提案してあった。貴重な辻先生のクロニクルが聞けて、結びで「大切な仲間たちとアニメの仕事に関わることが出来たことを自分は誇りに思う」という趣旨の言葉があれば聴衆は皆満足するはずだから、それでいきましょうと、私はお伝えしていたのである。が、辻先生は当方のような凡人の予想を遥かに上回る素晴らしい締め括りをされた。つまり、物語の行く末を、小説やアニメの未来をしっかりと見据えた堂々の議論を提起して終了されたのである。

先生は駅ビルのホテルにお泊りになったので、もし夕方時間があれば講演会を応援してくださった周辺の書店(南海ブックス、宮脇書店、紀伊國屋書店)などに営業を兼ねてお連れしようなどと考えていたのだが、ホテルに着いた時は既に先生を囲む会の時間が迫っていて、それはかなわなかった。

周辺の走り書きで紙幅が尽きた。講演会の全貌はキューテレビ(北島町の民間ケーブルテレビ局)が4月4日から6日まで放映してくださることになっている。機会をみて講演の抄録掲載も考えてみたい。ご支援いただいた全ての皆さんに心から感謝して拙稿を閉じることにしよう。ありがとうございました。

(2008年4月1日脱稿/こにしまさゆき=創世ホール館長/文中一部敬称略)

2008年(平成20年)3月3日新聞記事

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