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文化ジャーナル(平成13年8月号)

文化ジャーナル8月号

日下潤一氏個展・海野十三邸・杉浦事務所・佐藤タイポグラフィ研究所等訪問記

小西昌幸

7月15、16日と上京した。第1目的は日下潤一さんの個展をみるためだった。昨年、「創世ホール通信」で日下さんのインタビューを9回連載した。その最終回の特別コメントで日下さんは2001年7月にすべて新作によるブックデザインの個展をするということをお書きになっていた。私はインタビュー連載中しょっちゅう日下さんの事務所に電話をして色々迷惑をかけていたので、「個展にはきっと行きますからね」と約束したのだった。佐野英さん(海野十三夫人、世田谷区若林在住、91歳)からもよく「小西さん、東京に出てらしたらお立寄りくださいよ」と電話をいただいていたので、久しぶりにお伺いしようと考えた。せっかく上京するのだから10月に当館で講演していただく杉浦康平さんの事務所も表敬訪問することにした。色々調整した結果、謄写印刷研究家の志村章子さん(しむら・しょうこ ガリ版ネットワーク代表)と一緒に横浜の書体デザイナー・小宮山博史さんの事務所(佐藤タイポグラフィ研究所)にも訪問することになった。以下、2日間の行動記録を記しておこう。

7月15日(日) 7時40分徳島空港発の飛行機で羽田へ。日本エアシステム(JAS)の機内広報誌『アルカス』をみていると江戸川乱歩の特集が組まれている。すぐ東京や三重県名張の知人の顔が浮かび、4冊確保した。9時頃羽田着。最初に向かうのは新宿。10時に高島屋が開くので、そこのHMV(外資系大型CD店)でCDを探索。30分しか時間を取れないので、大急ぎでみて回った。私の探求目標は英国のトラッド・グループのウォーターソン:カーシーとウルフストーン。ところが昨年は2グループともWのコーナーに数枚ずつ並んでいたのに、今回全く見あたらず。かろうじてワールドミュージック売り場のケルト・コーナーでウルフストーンのベスト盤を見付けたのみ。収穫は1枚だった。この分ではヴィニール・ジャパンへ行くしかないかも。10時半JRで新宿から渋谷へ。地下鉄で表参道へ行きHBギャラリーに向かった。

日下さんの個展「絵と本」。可愛らしい画廊HBギャラリーには、この個展のために日下さんがデザインしたオリジナルの手造り本6点が並ぶ。1例をあげると、小宮山博史さんが日下さんの依頼を受けて書き下ろした約百枚のレタリングの技法解説を写植で文字組みして印刷製本し、本を作ってあるのだ(手製本は鈴木英治氏)。ブックデザインはもちろん日下さん。その本は限定10部で2万円で販売していた。小宮山さんの本はあっという間に完売したらしい。立ち読みしたが本当に面白そうだった。私が大富豪なら必ず買っただろう。その他にも日下さんお気に入りの新潮文庫16点を仲良しのイラストレーターや画家にオリジナルの表紙絵を依頼し、それをデザインした本も、表紙絵と共に展示してあった。

私はオープンと同時ぐらいに入ったのでこの日の一番乗りだった。日下さんは10分ぐらいしてやってきた。私は約1時間滞在していたのだが、その間に脚本家の西岡琢也氏がご家族を伴ってやって来たり、イラストレーターの人が来たりした。この個展は7月13日がオープニングだったので、その日は随分有名人が来たようだ。芳名録には筑摩書房の松田哲夫さんの名もあった。日下さんと記念撮影してHBギャラリーを出発。地下鉄で渋谷に向かった。

12時30分。渋谷駅南口を出たところにある「東急プラザ」2階、喫茶フランセへ。ここで推理・SF研究者の人たちと待ち合わせて海野十三邸へ行くのだ。いつも海野邸訪問のときはこの喫茶店を合流ポイントにしている。山前譲氏(推理小説研究家、日本推理作家協会常任理事)がちょうど到着したところだった。「新青年」研究会の末永昭二氏は急用ができたため欠席とのこと。私も山前氏もアイスクリームを注文。そこへ瀬名堯彦さん(SF大衆文学研究家、三一書房版『海野全集』編集委員)、し ばらくして池田憲章氏(SF研究家、三一版『海野全集』編集委員)が到着。これで全員揃った。池田、瀬名両氏の最近の研究成果についての報告を聞く。JASの機内誌は山前氏は既に入手しておられたので、池田さんと瀬名さんに進呈した。

14時。若林の海野十三邸。佐野英さんはお元気そうだった。今年5月に徳島の海野十三の会が催した「海野十三忌」のもようを収めたビデオをおみやげに渡した。このビデオは徳島市の戸出英輝さんが撮影編集してくださった労作。英さんの部屋にはビデオがないので、隣接した次男・暢彦(のぶひこ)さんのおうちで冒頭10分のダイジェストを再生してみせていただいた。その後英さんの部屋に戻り、来年もう1冊作る予定の海野さんの新しい資料集の打ち合わせを少しした。

今回私は、理想科学工業の羽山昇会長に、16日午後の日程で取材申し入れをしていた。羽山さんはご自宅が世田谷区若林で海野邸の近所である。リソグラフやプリントゴッコで有名な理想科学は終戦直後、海野十三の資金援助を受けて羽山さんが自宅でスタートさせ今日ここまで成長したのである。徳島中央公園の海野十三碑裏面には建立にあたって浄財を寄付した団体や個人の名前が刻まれているが、その中には理想科学工業もしっかりと刻まれている。それは羽山会長の海野への深い尊敬の現われにほかならない。その辺の話は海野研究には不可欠だと思われるので、取材を考えたのだ。しかし広報課を通じての申し入れは日程調整がつかず実現しなかったのだった。その話を英さんにすると「じゃあ今から私が呼んであげますよ」といって、羽山会長のうちに電話をかけてくださった。しばらくして羽山会長さんが到着。羽山さんは気さくな方で「いやあ、おばさんの顔をみたくなったもんですから」と顔をほころばせていた。謄写印刷については「今でも自分は機械より速く印刷できる。天安門事件のときは中国へ手伝いに駆けつけようかと思った」とのこと。30分ほどで羽山さんはお帰りになり、16時私たちも海野邸をあとにした。そして4人は渋谷で解散。

私は新宿へ。宿舎でチェックイン手続きをして荷物を置いた。新しくオープンしたディスク・ユニオンのプログレ館を少しチェック。ディスク・ユニオンを出て歩いていたら何と藤元直樹氏とばったり出くわした。氏は今夜集まるメンバーの1人で、国立国会図書館古典籍課の司書。古典SF研究会の会員で、99年10月の柴野拓美さんの創世ホール講演会にはわざわざ東京から駆けつけてくださったナイスガイなのだ。

彼はユニオン本館へCDを買いに行くところだったので私もついて行った。藤元氏は頭脳警察のCDを2枚(「1」と「1973・10・20 日比谷野音『聖ロック祭』」)購入しポスターをもらっていた。私はアナログ盤の頭脳警察「1」を所有しており(高校のとき予約し大学時代に届いた)、今回の復刻がマスター音源か盤おこしかが気になっていたので、ユニオンの店員にたずねてみた。マスターを使用しているとのことだった。待ち合わせ時刻まであと20分だったのだが、猛スピードで西新宿のヴィニール・ジャパンへ。ウォーターソン:カーシー2種、イライザ・カーシー1種を購入。

19時、新宿紀伊國屋書店本店6階エレベーター前で待ち合わせ。この日集まったのは、藤元氏のほかに柏書房社長の芳賀啓(はが・ひらく)氏、自主制作レーベルいぬん堂代表の石戸圭一氏、写研企画宣伝マネージャーの平賀隆二氏、築地電子活版代表の府川充男氏。本当は漫画家の長谷邦夫さんも来てくださる予定だったのだが、漫画学の講師をされている宇都宮アート&スポーツ専門学校の試験のためやむをえず欠席となった。今年3月の講演会のとき小西が上京するときは芳賀さんを交えて会おうと話し ていたのだ。「大変残念です。またの機会を待ちます」(長谷さんからの手紙)

歩いて5分ほどの「犀門」へ。6人で2時間ほど歓談。店を出てから路上で通行人の人にシャッターを押してもらい記念撮影をした。

16日(月) 10時、渋谷へ。朝からとんでもない暑さだ。路上でヤクルトおばさんを発見しタフマンを購入。徳島から来た者であること、職場でいつもタフマンを飲んでいることを伝えると喜ばれた。10時半、杉浦康平プラスアイズ。10月20日に創世ホールで講演していただく杉浦先生の事務所である。場所は渋谷駅から10分ほど歩いたマンションの1室にある。杉浦先生は午後からのご出勤なので、事務所の佐藤篤司さんと講演の打ち合わせをした。私は最近ひんぱんに佐藤さんと電話で打ち合わせをしているのである。おみやげに私の作った本を2冊進呈した(『ハードスタッフ』11号と『海野十三メモリアル・ブック』)。2点共、府川充男氏にデザインしていただいたものだ。講演会カラーチラシの基本デザインは既にできていた。何と当日配布用にA4のものを2種類作ってくださるのだという。それを入場者に配布することになった。ありがたいことである。ご厚意に答えるため何としても宣伝に力を込めて、成功させないといけない。先客がおられた。その方は講談社現代新書の編集者だった。私は1時間滞在した。佐藤さんから「おみやげです」といって2冊の図録を渡された。1冊は『芹沢?_介』(東北福祉大学、01年4月)。もう1冊は99年に中国で杉浦先生の『かたち誕生』の翻訳本が出版された際の記念講演会の図録『杉浦康平的設計世界』(河北教育出版社、99年9月)。お宝だ。11時半、渋谷HMVへ。約1時間丹念に調査 。ここにはウォーターソンズがあった。暑くてしんどいので、とてもタワーレコードまで行く気がせず断念。近くにカレー屋さんがあったのでそこで食事をとった。

13時過ぎ、東急東横線で横浜へ。京急神奈川駅で志村章子さんと合流。徒歩5分ほどの佐藤タイポグラフィ研究所へ。小宮山博史さんは少しも変わらずお元気そうだった。2時間滞在し『印刷史研究』第10号で鳴門市ドイツ館の印刷物を特集する件についての打ち合わせをした。佐藤研究所は静かなたたずまいで素晴らしいところだった。

この日、私が徳島空港に到着したのは20時半。嵐のような2日間だった。その夜私は死んだように眠った。

(2001年8月1日脱稿 こにし・まさゆき 創世ホール企画広報担当)

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