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文化ジャーナル(平成13年12月号)

文化ジャーナル12月号

山城町に「子なきじじい」石像 建立

2001年11月25日(日)11時から徳島県山城町で、子なきじじいの石像除幕式があった。この石像完成までには大変な苦労があったときいている。実をいうと私は妙な縁で、一連の経緯についてかなり近い位置にいた。だから、きわめて感慨深いものがあるので、ここに記しておきたい。

水木しげるの漫画でおなじみの妖怪・子なきじじいは、元々は柳田国男が徳島県山間部の伝承として1938年に研究誌に発表した論文に由来するのだそうだ。この伝承に関心を持った、阿南市に住む在野の郷土史研究家(というか妖怪ハンター)多喜田昌裕氏は、数年前に徳島県下全域の教育委員会や図書館に「子なきじじい」伝承に関する照会文を送ったり、山城町内で新聞折り込みをするなどして伝承場所の特定と伝承を知る人を調査してきた。その結果、山城町の平田五郎さんが伝承を知っていたことが判明、平田さんは多喜田氏と交流するうち、伝承のモニュメントとして「子なきじじい」の石像建立を構想するようになった。平田さんはその矢先、病に倒れ2000年5月帰らぬ人になった。その五郎さんの遺志をついで、石像実現を決意した息子の政広さんや地元の人たちが東奔西走して自力で寄付を募り(京極夏彦氏など著名人も多数カンパを寄せた)、このたび伝承の里・山城町上名の県道沿いに高さ90センチの石像を完成させたというのが、その簡単な経緯である。

私は、海野十三の会が99年5月に開いた池田憲章氏講演会のときに初めて多喜田昌裕氏とお会いし、以後時々連絡をいただくようになり、交流を続けている。今ではこの「創世ホール通信」は毎号氏に送っている。また平田政広氏とは互いに町役場の職員ということで以前から面識があった。

私は今年夏のボーナスでカンパを送金していた。その後8月に、大阪で林直人氏(ヴォーカリスト、ギタリスト 10代のときに町田町蔵[現町田康]とパンク・バンドINUを結成。伝説のバンド・アウシュヴィッツを経て現在ソロ)のインタビュー取材を私のミニコミのためにしたのだが、そのとき林氏から「これを、子なきじじいの石像のために使って欲しい」とカンパをことづかった。同席していた北嶋建也氏(ヴォーカリスト、ギタリスト、レコード店経営)からも、氏が鳥取県境港市の水木しげるロードの愛好家だということで、カンパを渡された。預かったお金は政広氏に謹んで送金した。

石像台座の「児啼爺(こなきじじい)」という字は水木しげる翁の書。石像の隣には「児啼爺の碑」が立ち、子なきじじい伝承と像の由来について長い文章が刻まれている。この文章は多喜田氏によるもので、碑の題字は京極夏彦氏の書だ。その石碑の隣に、寄付をした人たちの名を刻んだ石板があり、もちろん京極夏彦とか小西昌幸とか林直人とか北嶋建也の名が読めるのである。

除幕式には、地元の人や県内外から200人以上がつめかけた。大阪の朝日放送テレビや、NHKや新聞社などの報道陣のほか、ちょっと怪しげな妖怪マニアなど、明らかに地元の人間でないと分かる人たちもたくさんいた。

除幕式の後は、少し離れた県道沿いの公園付近に移動し、来賓祝辞や妖怪談義、モチ投げなどが行なわれた。祝辞の後には水木しげる氏からのメッセージも読まれた(水木さんは海外取材のため徳島入りは果たせず)。何分深い山あいの土地ということもあり、山の斜面に櫓が組まれて、そこから道路に向かっておモチが投げられたり、通行車両もモチ投げ終了までちゃんと待っていてくれたりと、平野部では到底考えられない素敵な催しだった。

妖怪談義は『幻想文学』編集長・東雅夫(ひがし・まさお)氏、妖怪探訪家・ 村上健司氏、妖怪研究家・多田克己氏(村上・多田両氏は京極氏との鼎談集『妖怪馬鹿』[新潮OH!文庫]の共著者で京極氏の小説『今昔続百鬼』のモデル)、そして石像建立の陰の仕掛け人・多喜田氏を交えて行なわれ、4人は石像建立の意義について熱く語った。東氏は、昨年雑誌『ムー』に山城の子なきじじい伝承をレポートした人で、多喜田氏の案内で現地取材もしている。
私は事前に東氏がくるということを知っていたので『別冊幻想文学 澁澤龍彦スペシャル』を持参し、同書の表2部分に編集長のサインをいただいた。

石像は、地元はもとより全国の有志からの寄付で建てられた。この点、徳島中央公園の海野十三碑と似ている。海野碑は、海野十三の会が毎年5月に十三忌として、碑の清掃と献花、研究家を招いた講演会などの顕彰活動を行なっている。可能なら子なきじじい石像でも、年一度イベントをして欲しい。それは清掃とささやかな講演会でよいと思う。余計なおせっかいかも知れないが、山城町では何十万円も使ってイベント業者経由でタレントを呼んだりするのではなく、ここに結実した石像を足がかりにして妖怪研究家や妖怪作家を招くような取り組みをしていただけないだろうか。私は、山間部からの文化創造の可能性を山城町に確かにみたのである。

(01・12・2脱稿 小西昌幸)

アイリッシュ・ダンスを堪能
11・24グレイグース演奏会

11月24日の「アイルランド音楽の世界~グレイグース・コンサート」は、250人が参加し、盛況となった。高知のアイルランド音楽グループ、グレイグースは、結成して日が浅いのだが味わい深い演奏を聞かせた。

今回の特色は羽ノ浦町の外国語指導助手、ショーナ・マッカーノンさんによるアイリッシュ・ダンス共演が実現したことだった。ショーナさんは昨年7月に羽ノ浦町にきた人で、今22歳。お母さんがアイリッシュ・ダンスの先生だった関係で3歳からダンスを習っていた。その経歴は大変なもので全英大会や全米大会で1位、全アイルランド大会で3位などの受賞歴をもつ。

私は羽ノ浦町の人から、ショーナさんが地元の人たちにアイリッシュ・ダンスを講習していることを聞いて、今年初めに見学していた。今回の催しを進める内に、創世ホールのステージで両者の共演が実現できないかと色々考え、双方に打診した結果、OKが出たのだった。

アイリッシュ・ダンスの共演は、アンコールを含め3曲で実現した。ショーナさんはソフト・シューズで1曲、ハード・シューズで2曲を踊った。

私は、コンサート実行委員でエストラーダ団長の川竹道夫氏に相談し、氏の尽力で舞台に敷くリノリューム板をバレエ・スタジオから借りることにした。これが非常に重くて、力のない私には運ぶのが大変だった。

いつも人集めと宣伝に頭を悩ますのだが、今回はNHKテレビの「情報交差点徳島」の中の「ひゅーまん徳島」に私が出演してPRできたことや、羽ノ浦町の人たちがたくさん来てくださったことで、本当に助かった。また各新聞社の応援もたくさんいただいた。もちろん徳島アイルランド音楽愛好会や、その他たくさんの人たちのご支援にこの催しは支えられたのである。深く感謝したい。

ダンスをする女性

アイリッシュ・ダンスを踊るショーナさん
撮影:江富久雄

(2001・12・4脱稿 小西昌幸)

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