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文化ジャーナル(平成14年3月号)

文化ジャーナル3月号

ダンスリー幻のアルバムをめぐって

2月24日に開催したダンスリー・ルネサンス合奏団結成30周年記念コンサート「中世ルネサンス音楽の源流と支流」は、約200人の入場者だった。

今回の催しの広報宣伝での成果の第一は、「デイリースポーツ」四国瀬戸版に大きく取り上げられたことがあげられると思う。もちろんいつものように新聞社や放送局、コンサート会場前でのチラシ配布、ダイレクト・メール、県内外の主要な公共文化ホールや美術館、博物館、図書館などなどへの徹底したPR等やるべきことはひととおりした。インターネットでの宣伝もした。

コンサート当日には、NHKや徳島新聞(地方部)、読売新聞徳島支局が取材にきた。NHKでは翌25日朝の四国ネットのローカル・ニュースで朝7時前と、7時40分過ぎに約1分30秒放送された。「徳島新聞」には26日の朝刊地方面に掲載された。また今回も北島ケーブルテレビのご協力で、ステージの模様が3台のカメラで録画された。4月以降に放映予定である。

高知や愛媛から若い女性がきて下さっていた。2人とも5年前に創世ホールでダンスリーを体験した人だった。ダンスリ-は、第1部で11曲、第2部で8曲、アンコールで3曲を演奏した。深みのある味わいのある演奏だった。ご支援いただいた全ての皆さんに深く感謝したい。

さて、この機会に私はダンスリー・ルネサンス合奏団の幻のファースト・アルバム「絆」のことを書いておこうと思う。書き手として私が適任とは到底いえないと思うが、古楽界のライター諸氏からの批判的検証を歓迎する意味でも、あえて役者不足を承知で私なりにまとめておくことにしたのである。

「絆」はURCレコードから1977年に発売されたLP2枚組である。URCは大阪の小さなレコード会社で、岡林信康、五つの赤い風船、高田渡、はっぴいえんど、加川良、三上寛、友部正人、遠藤賢司などの作品を69年から70年代半ばにかけて送りだした。だからダンスリーのような音楽は全く異質なのだが、代表の岡本一郎さんに5年前にうかがったお話では五つの赤い風船の長野隆氏(ベーシスト)の紹介で、出ることになったのだそうだ。

今から20年前ロック雑誌『マーキー・ムーン』(82年4月1日号)に岡本さんのインタビューが掲載されたことがあり、その中で岡本さんが「絆」について言及している。聞き手は榎本隆一氏。以前岡本氏に確認したところ、これは電話取材だったとのことだ。以下、関係個所を引用する。
Q:日本コロンビアのアルバム以前に出ている1stアルバムについておしえて下さい。
O:昔、もう7、8年前だと思いますが、関西のフォークの、アンダーグラウンドなURCという所から、2枚組のアルバムが出たのですが、そこの会社がダメになってしまって、レコードの行方がわからないんですよ。僕もさがしているんですけどね。(笑)
Q:ええ、URCはよく知っています。URCとのつながりっていうのは?
O:大阪にいますので、まぁこっちの若いアーティスト達とやることが多くてそこから話がいったみたいですね。

以降、今日に至るまで「絆」は再発売されていない。もちろん私は、ジャケットを見たことすらない。文字通り「幻」のアルバムなのだ。

URCの音源は同社が70年代後半に実質活動停止した後、営業権・原盤権が目まぐるしく移ったため、これまでに様々なレコード会社から再発売されている。その変遷は、黒沢進氏の労作『日本フォーク紀』(シンコー・ミュージック、1992年12月)を元にまとめると、次のごとくでである。1974年12月~エレックレコードが販売流通(76年6月同社倒産)
1976年10月~ 東宝レコードが販売流通(70年代後半 同社倒産)
1980年1月~ SMSレコードが販売流通
1989年~ SFC音楽出版が原盤権取得 キティレコードが販売流通
1992年~ シンコー・ミュージックとフジパシフィック音楽出版が原盤権取得
(東芝EMIが販売流通)

『日本フォーク紀』で元URC社長の秦政明氏は、末期の頃のことを次のように語っている(1986年4月のインタビュー)。

(以下大意)・・・・ぼくは芸能界って言うのはあまりやりたくなかった。URCはメジャーになりたくなかった。ちょうどうまい具合に整理できた。エレックレコードからの働きかけでURCの営業権を全部譲った。エレックがつぶれて、その後東宝が営業やりたいというので東宝に渡した。だから別にURCレコードは倒産していない。・・・・

また『日本フォーク紀』20頁には、興味深い文章が掲載されている。そこには、東宝が流通していた時代に歌詞がレコ倫に引っかかって発売できない物が出てきたため、秦氏が京阪神のシンガーや活動家組織であるUDC(アンダーグラウンド・ディスク・センター)の協力を得て、直接販売のためのUDCレーベルを新たにつくり、3点のLPと2点のシングルを77年8月までに出した、とある。その中に「UDC-5001~2 ダンスリ ルネッサンス合奏団」と明記されているのである。また秦氏はインタビューで、東宝に営業権を渡した頃、1人で細々と制作をした、それは落ち穂拾いの意味があった、それらは全く売れなかった、という趣旨のことを答えている。そして秦氏は77年8月をもって音楽制作から手を引いている。

URC最末期の直販(郵送注文中心?)での最後のLPがダンスリーだったのだと推測される。それらは一体何枚プレスされ、一体どこに流通したのであろうか。大きな謎である。

前回、1997年に彼らが創世ホールで演奏したとき、私はリーダーの岡本一郎さんにファースト・アルバムのことを聞いてみた。氏は、制作のときに長時間録音をしたので、そのテープの行方が気になっていること、捜したが分からなかったといった。

私は、SFC音楽出版代表・高護氏とは面識がある(サエキけんぞう氏〔元ハルメンズ、パール兄弟〕と私が交流があり、80年代に上京した際サエキ氏に紹介していただいた)。2年程前、ふとURCの原盤を高氏が管理していたのならダンスリーのテープはなかっただろうかと思いつきサエキ氏を通じて聞いていただいた。

ほどなくして、サエキ氏から連絡があり、シンコー・ミュージックの原盤管理担当者の名前をお教えいただき、私はその方に電話で問い合わせてみた。「マスター・テープはあるようです」という回答だった。そして、ダンスリーはどういうグループなのかと聞かれたので、少し説明した。再発をしたら面白いと思うがと私が言うと、発売は東芝がやるのだが、今のところ予定には入っていないということだった。

以上が私が調べたダンスリーの幻のアルバム「絆」に関する全てである。

さて、ロックの世界では、幻といわれたアルバムを発掘してきてCD再発する小レーベルもあり、1枚何万円もしていたアルバムが多くの人々に安く届けられるようになっている。その点クラシックの業界では、国内の古楽名盤の発掘作業などはあまり進んでいないように見受けられる。

私の知るロックの分野での発掘仕掛人には、千葉県沼南町にお住まいの石戸圭一氏という方がいる。「いぬん堂」という、不思議な名前のマイナー・レーベルを1人で運営していて、貴重な音源をていねいにCD化している。私は、同レーベルから2001年7月に発売されたスーパーミルクのCD「ライブ・エレキダンス 1979~1980」の解説を書いたことがあり、一緒に仕事をさせていただいたので、そのそつのない仕事ぶりに敬服した。氏には昨年7月にお目にかかった。ちゃんと本業をお持ちで、レーベル・スタート時に一定金額を用意して、それを回転資金にしてアルバム制作を続けているとのことだった。

今、メジャーとよばれるレコード会社は、万単位の売れ行きを示すものでないと全く食指を動かそうとしない。従ってダンスリーの幻の2枚組をCD化するとしたらそれは、自主レーベルにしかなし得ないことだろう。私は古楽の世界にも、石戸氏のような存在が必要なのではないかと思う。そして私ごときが指摘するまで誰もダンスリーの幻のマスター・テープの調査をしていなかったのだとすれば、それはちょっと寂しいことのように私は思う。ロックの分野では、このようなことはありえないことだから。

演奏風景

(2002年3月2日脱稿 文責・小西昌幸)

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