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文化ジャーナル(平成14年5月号)

文化ジャーナル5月号

我らは伊福部昭の存在と木部与巴仁の仕事を誇りとする書評
木部与巴仁『伊福部昭・タプカーラの彼方へ』ボイジャー

1997年4月、新潮社から『伊福部昭・音楽家の誕生』という評伝が刊行された。単行本の書き下ろしだった。著者は、木部与巴仁(きべ・よはに)というフリーの文筆家。木部は、1958(昭和33)年4月27日愛媛生まれ。同じ出版社から1995年に『横尾忠則・365日の伝説』を刊行していた。木部氏は私(小西)の二十年来の知人であり、2冊の本はどれも力作で、夢中になって読了したことをよく憶えている。『伊福部昭・音楽家の誕生』は彼の実に14年間に及ぶ取材・思索・研究の成果であった。「創世ホール通信」31号(97年8月1日)の「文化ジャーナル」で紹介したのだが、その文章を読んで「感動しました」と言ってくれた人もいた。

伊福部昭を知らない人のために、その経歴を『音楽家人名事典』(日外アソシエーツ)などを参照しつつ私なりにまとめると次のようになる。

伊福部昭 いふくべ・あきら 作曲家。元・東京音楽大学学長。1914(大正3)年5月31日北海道釧路市生まれ。北海道帝国大学専門部林学実科卒。独学で作曲を勉強、十代の頃、三浦淳史、早坂文雄と知り合い音楽への志を語り合う。1935年森林官となり、厚岸(あつけし)森林事務所勤務。同年初めての管弦楽曲「日本狂詩曲」がチェレプニン賞首席入選。森林官のかたわらアイヌ音楽を研究し、「土俗的三連画」などを作曲。1946年から53年まで東京音楽学校で教え、芥川也寸志、黛敏郎らを育てた。「ゴジラ」「ビルマの竪琴」「人生劇場望郷編」「大魔神」など映画音楽を数多く手がけ、バレエ音楽も作曲。音大出身者でないこと、全くの無名時代に国際的な賞を受賞したことなどから、既存のアカデミズム音楽界からは長く冷遇されたが、海外の音楽家は伊福部作品を称えた。特撮映画ファンやロック演奏家をはじめ熱烈な支持者を持ち、近年ますます評価が高まっている。著書に『管弦楽法(上・下)』、CDに「伊福部昭の芸術」「伊福部昭映画音楽全集」等多数。本年5月31日に88歳を迎える。東京都世田谷区在住。

本書は、『音楽家の誕生』の続編であり、膨大なインタビュー取材などを背景に、戦後の伊福部の歩みを音楽的業績から見つめたものとなっている。

続編が完成したことは、木部氏からかなり以前に聞かされていた。私は当然新潮社から出るものとばかり思っていたのだが、大変残念なことに企画はどこかでストップし、うまくいかなかったようだった。それから彼はいくつかの出版社に持ち込んだが、編集者が全く読もうともしないケースなどもあったのだという。彼はきっと激しいストレスをため込んだだろう。それにしても私にとって極めて不思議なのが、書店の店頭に木部さんの本と比較して明らかに劣るものがたくさん並んでいることだった。木部氏の本を拒否した出版社から、昨日も今日もウンと劣るつまらない企画のつまらない本がいっぱい出されていることが、どうしても私には理解不能だった。出版不況の悪循環の一因はその辺(編集者の眼力と熱意の低下、企画の貧困等)にもあるのではないかと言いたくなって来るのだ。

一時自費出版まで考えたという木部氏の新作は、このたびボイジャーからオン・デマンド本として刊行された。オン・デマンドというのは注文のあった部数だけを印刷製本し販売するというデジタル出版の方式である。従来の販売方式(取次から書店配本し、店頭に並べられ、客がそれを手に取って購入する、というような流通販売形態)ではない。欲しい者が直接版元に送金して注文すると、数日から十日ぐらいかけて本が届けられるのだ。買う側の情報収集努力や、入手までの労力と時間を必要とするので、購入者は書物に選ばれ、試されているようなところがある。だがその値打ちは十分ある。 

書誌データ並びに注文方法は次のとおり。
〈書誌データ〉木部与巴仁『伊福部昭・タプカーラの彼方へ』
(発行=(株)ボイジャー、発売=有限会社ディーボ、2002年4月18日)四六判、カバーなし、334頁、オン・デマンド本、本体3200円。 
〈注文方法〉本体3200円+税160円+送料400円=合計3760円を郵便振替で《口座名=有限会社ディーボ、口座番号=00110-0-30320》宛てに送金する。
「通信欄」に注文書名を明記すること。
〈問い合わせ先〉(株)ボイジャー 〒150ー0001 東京都渋谷区神宮前5ー41ー14
TEL.03-5467-7070 ファクシミリ 03-5467-7080 Eメール info@voyager.co.jp

書名に出て来る「タプカーラ」は、伊福部の代表曲「シンフォニア・タプカーラ」に由来する。「タプカーラ」とはアイヌの人たちの言葉で「自発的に踊る」「立って踊る」という意味らしい。木部氏は同曲について「伊福部の持つ要素を余すところなく備えた曲」であり「『タプカーラ』を語らずに、伊福部を語る事はできない」と書いて称賛している。

読んでいて、何か所か心が震えたり、涙がこぼれたところがあった。それらをいくつか掲げておこうと思う。

  1. 札幌出身の森田たま(大正・昭和期の随筆家)に関わるエピソード。彼女は楽譜出版社「森田楽譜」のオーナーで、同社の第1回配本が伊福部作品『ギリヤーク族の古き吟誦歌』だった。森田は刊行の際「われらは伊福部昭を持つ事を誇りとする」と広告文で書く。それほど入れこんでいたのだ。そして1954年、森田がフィンランドを訪れ同国の代表的作曲家ユリエ・キルピネンに伊福部の楽譜をみやげに渡したときの情景が、誠に感動的だ。譜面を受け取り、それに目を通すキルピネンの表情が鋭くなる。彼は、森田に次のようなことを語るのである。──自分は初めて純粋の東洋のオリジナルに出会った、望んでいたものに今こそめぐりあった。──そして彼は、いきなりピアノに向かってその楽譜(伊福部作品)を弾きはじめるのだ。森田は深く胸打たれ、横を向いてそっと涙をぬぐう……。終戦後(1946年)、森林官の職を失った伊福部を、東京音楽学校作曲科講師として迎えるよう校長の小宮豊隆に推薦したのが森田だった。
  2. 60歳の山田耕筰が32歳の伊福部をわざわざ自宅に招き、互いに尊敬に満ちた会話を交わすくだり。「あなたは、これまで、どんなふうに音楽の勉強をしてきたの?」「いや、本職は森林官で、山の中にいたり、木材の振動に関する研究をしたりしておりました」…偉大な芸術家同士の魂の交感と呼ぶにふさわしい会話で、良く書き込まれている。身震いするほどスリルに満ち美しい。
  3. 映画「釈迦」(三隅研次監督、1961、大映)のサウンドトラックの録音時のエピソード。録音に立ち会った伊福部の弟子・松村禎三は、ラストシーン(釈迦入滅)のところで、音楽の高まりに涙が出て仕方なかった。恥ずかしかったのでテストの間、照明室に1人入って泣きながら聞いていた。録音室に行くと監督もプロデューサーも目を真っ赤にしていた。 

伊福部は、札幌二中で三浦淳史(後に音楽評論家)、大学で早坂文雄(後に作曲家、黒沢明作品の映画音楽も手がける)を知り、3人は親友となる。本書には、彼らの交流や友情も丹念に描かれて胸を打つ。

その他、本書には「幽玄や静寂、神秘などという境地は、日本人なら誰でも行ける安易なものです。鬼さえ引っ張ってくるほどの力強さがないと、われわれの本当の伝統は表現できない」などという伊福部の言葉が随所に散りばめられて、刺激に満ちている。私は、真の知性と教養を本書に感じた。

なお、絶版だった『音楽家の誕生』は、このたびボイジャーからオン・デマンドでの再刊が決まった。未入手の方はぜひチェックを。

ここまで来たのだから木部氏には、伊福部研究をライフワークにして欲しい。既に構想されていると思うが、指揮者の石井眞木、声楽家の藍川由美、ヴァイオリン奏者の小林武史、ピアニストの舘野泉、箏の野坂恵子など伊福部とゆかりの深い音楽家たちの証言構成による研究書があっても良いと思う。

また、伊福部昭が演奏会パンフレットや様々な媒体にこれまで発表した随筆やインタビューの集成も、ぜひ読みたいものだ。
2002年5月19日(日)午後3時から紀尾井ホールで「伊福部昭米寿記念演奏会」が開かれる。会場ロビーで本書が販売されることが決まった。せっかくの機会なのでここはひとつ、書籍販売コーナーの横に木部氏と伊福部氏が並んで座り、サイン会をやって欲しい。これは2人の本なのだから。

本書は幅広く読まれなくてはならない。しっかりした実績を作って、この本の刊行を拒んだ出版社を悔しがらせたいと私は思うのだ。そして、森田たまの言葉にならって、私は断固として次のようにいいたい。すなわち「私たちは伊福部昭の存在と木部与巴仁の仕事を誇りとせねばならない」と。

(2002年4月28日脱稿 文責・小西昌幸)

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