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文化ジャーナル(平成14年8月号)

文化ジャーナル8月号

本をめぐる実験

2002年7月6日から8月25日迄徳島県立近代美術館で「本と美術」展が開かれている。8月4日、その関連で同館講座室で、創世ホールの小西が「本をめぐる実験」というテーマで講演をした。要旨を以下に掲載する。

「本をめぐる実験」というテーマでお話をさせていただきます。私は非常に偏った趣味嗜好の人間なので、どうあがいてもオーソドックスなお話はできません。あらかじめご了解ください。ここでは紙の本に限定してお話をします。その前提でお聞きください。本というものは、多くは紙に印刷された文字や図版があり、その紙を製本したものであるわけですが、『印刷事典』などを調べてみますと製本だけでも十数種類あるし、紙を折って裁断するその折り方にもかなりの方法がある。紙やインク、印刷方法、製本、どれをとっても物凄く奥が深いプロフェッショナルの世界です。

本のデザイン・図書設計のことをさす用語も数多くあります。装丁、装幀、装釘、装訂。ソウテイと発音する言葉でも4種類あります。テイの字に釘を使うケースは最近ではあまりないようですが、私の知人はこの漢字にこだわっています。ずっと昔はこの字だったようです。用字用語をめぐる議論は昔からたくさんあったようなので、お調べになると面白いかも知れません。

先ほど、印刷や本作りの世界に触れて「プロフェッショナルの仕事」ということを申しましたが、そのことで1つエピソードを紹介します。10年ぐらい前になりますが、選挙管理委員会の仕事をしていた頃に投票用紙の印刷に立ち会うために、大手の印刷屋さんで、その印刷工程をつぶさに見学したことがあります。この日一番ショックを受けた場面は次のようなものでした。
紙を数える仕事をする部門があって、そこには女性が4、5人おられました。紙は全紙なのでその束を持つわけにはいきません。平らな机に紙を置き、手作業で実に効率良く数えてゆく。そこには最近就職されたとおぼしき、ご年輩の女性がいて、その人を20歳前後の女性が優しく指導していました。紙の持ち方のお手本をみせるのですが、年配の方はどうもうまく出来ない。親指と人差し指で挟み、それをを微妙にひねって紙と紙の間に空気を入れて数えやすくするのですが、それがなかなか出来ない。すると若い女性が言いまし た。「心配しなくてもいいですよ。私がこれを出来るようになるのに2年半かかりましたから」。私は大変驚きました。本は、そういう無名のプロフェッショナルたちの、たくさんの作業の積み重ねで世に送りだされています。

それでは「本をめぐる実験」ということで、本題に入ります。まず「小口の実験」です。ここでは杉浦康平さんという著名なグラフィック・デザイナーであり、数多くの本のデザインを手がけておられる方のものを2点紹介させていただきます。『全宇宙誌』(工作舎)と斎藤真一『ぶっちんごまの女』(角川書店)。この杉浦さんのお仕事は伝説的で、大変有名です。どちらも小口をずらす方向で異なる図版が浮かぶ。緻密な計算に基づいて頁の端に図版を貼りこんでゆき、小口に星雲が浮かんだりする。大変な仕事です。

次に「カバーの実験」。カバーの裏面に図版や文字が印刷されている本をご紹介します。これは音楽雑誌ですが、世間の人は殆どご存じないと思います。『同時代音楽』第2号第2分冊。裏面が宣伝ポスターになります。私の古い知人である府川充男さんの手がけたものです。

もう1つが音楽学者・細川周平さんの本『サッカー狂い』(哲学書房)。この本の造本設計は、愛媛県宇和島市にお住まいの現代美術家・大竹伸朗さんです。カバーの裏面に、サッカー選手の写真などが印刷されています。カバーをはずした後の本体表紙もとても魅力的です。本体表紙~背表紙~裏表紙にかけて、ボロボロに傷んだ本のカラー写真が原寸大で印刷されている。遠くからみると、しみがあったり、破れたり、糸がほつれているのではないかと、ちょっとびっくりしてしまいます。この本はオブジェとしてみても、とても魅力的な本です。展覧会でも大竹さんの魅力的な本が、たくさん展示されているので、まだの方はぜひご覧になってください。この本については、本文頁にも仕掛けがあるので、後でもう一度触れます。 

今度は「帯の実験」。新刊書には販売促進のために帯がよく巻き付けられています。腰巻ともいいます。その帯の裏にも印刷をしているのがこの『UWF革命』という本です。これも府川さんの仕事です。私は帯の裏にまで印刷している本は他に知りません。CDにも帯がついていますが、この方面では帯の裏面に印刷されたものをわりと目にします。 

続いて「本文(ほんもん)の実験」に入ります。先ほど触れた『サッカー狂い』。内容はサッカーへの思いがいっぱい詰まったエッセイ集ですが、全体がサッカーの試合をイメージした造りになっている。前半戦があり、ハーフタイムがあり、後半戦があり、頁が進むにつれて時計が動いてゆく。著者の細川さんと造本の大竹さん、2人がどういう風にアイデアを出し合ったのか、非常に気になります。物凄くノリノリで作ったのではないかと想像されます。

それからこれは、国書刊行会から出された《世界幻想文学大系》の1冊。杉浦康平さんの造本です。オブジェとして所有して心が躍るような本です。見開きの右と左にトーテムポールのような図版が印刷されて、全ての頁に入っています。シリーズ全巻を通して同様の形式になっているのですが、このトーテムポールは巻ごとに色とデザインが異なっております。この本の函には、カバーが巻き付けられていますが、これは大きな帯と考えることも可能かも知れません。マーブルがふんだんに使われていますし、この造本の実現に至るまでには、大変なご苦労があったと聞き及んでいます。責任編集は紀田順一郎さんと荒俣宏さん。日本の装丁史・出版史に残るお仕事です。

引き続き、「本文の実験」ということで文字組版の面白い小説をご紹介します。まず、SF作家・山野浩一さんの作品「渦巻」。この小説は、主人公の家の居間のテーブルに突如直径30センチほどの黒い渦巻ができて、最後はそこに全てが渦を巻いて飲み込まれてゆくという短編です。何もかも飲み込まれ、最後には、文字組版が渦を巻いて小さくなってゆくという物凄く面白い実験をしています。この作品は私の知る限りでは4回印刷物として世に出ています。最初はSF同人誌『宇宙塵』。それから早川書房から『鳥は今どこを飛ぶか』という新書判の短編集に収録され、続いて早川から文庫になり、一番最近では出版芸術社から刊行されたアンソロジー『宇宙塵傑作選Ⅰ』に収録されています。今日持参したのは『宇宙塵傑作選Ⅰ』ですが、これは今も入手できます。今年5月にこの本を実質編集された日下三蔵さんが徳島に来られた際に、ラストの文字組みをどうやって作ったのかお聞きしました。日下さんのお答えは、初出の『宇宙塵』からコピーして版下に貼ったのだということでした。その後私は他の本ではどうなっているのか調べました。もう一度日下さんにも確認を取りましたら、早川の2点も同じ方法をとっていることが判明しました。この件では『宇宙塵』代表の柴野拓美さんと山野浩一さんご自身にも電話でお話を伺いました。初出の文字組みは、印刷所の職人さんがタイプの文字を切り貼したのではないかと推理しています。

次は広瀬正さんの小説をご紹介します。短編「ザ・タイムマシン」は、ある講演会場でタイムマシンの研究をしているムテン博士が質疑応答をしていると並行宇宙からもう1人のムテン博士が現われて、会場を2つに仕切って2人が同時に演説をするというお話で、演説部分が上段と下段に分かれてそれぞれの主張が載っているわけです。他にも「二重人格」という短編が2段に分かれて同時進行するお話です。広瀬さんは72年3月に赤坂の路上で倒れて48歳でお亡くなりになっています。お通夜のとき、作家仲間の手によって棺に《タイムマシン搭乗者 広瀬正》という紙が貼られたということです。

都筑道夫さんも本や組版で面白い実験をした作家です。「蝿」は、ビルの壁面をよじ登る男のお話で、彼が壁を上ってゆく描写では、余白をうまく使って文字が少しずつ上がってゆく。長編『猫の舌に釘を打て』は、主人公がツカ見本に綴った手記という設定の推理小説です。余白頁が何頁も続き、それがトリックになっているという凝りに凝った作品です。ミステリ研究家の日下さんに伺った話では、最初の単行本のときには、ノンブル(頁表記)もないぐらい徹底していたとのことです。もっともそのため落丁本として返品が相次いだので、途中からノンブルを入れるようになったようです。

穴を開けた本もあります。工作舎が出した稲垣足穂の『人間人形時代』は本の真ん中に直径約7ミリの穴が貫通しています。杉浦康平さんの造本です。これにはちゃんと理由があって、稲垣さんは人間は1つの管であるという主張をした人なので、本の中央に穴が開けられているのだということです。

以上、少し変わった視点から本の世界をのぞいてみました。徳島県立近代美術館で開催中の「本と美術」展はすばらしい企画です。そのことに心から敬意を表したく思います。今日は、とりとめのない紹介に終止したかも知れませんが、ここから少しでも書物の世界に関心が広がるならば、こんな嬉しいことはありません。最後までご静聴いただきありがとうございました。

【2002年8月4日 徳島県立近代美術館講座室 文責・小西昌幸】

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