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文化ジャーナル(平成15年1月号)

文化ジャーナル1月号

竹内博氏講演会に ご注目ください。

佐野眞一氏の『だれが「本」を殺すのか』(プレジデント社、2001年2月)の冒頭部分で、若い頃に氏が編集をてがけた『原色怪獣怪人大百科』(勁文社[けいぶんしゃ])のエピソードが登場する。長くなるが以下謹んで引用する。

一九六九年に大学を出てもぐり込んだ小さな出版社で私が最初に作った本は、子供向けの『原色怪獣怪人大百科』という文庫版の図鑑だった。(略) 新宿の連れ込み宿の一室にこもりきり、隣室の男女の喘ぎ声と喃語(なんご)を聞きながら、「レッドキングの得意技は飛び蹴り」「バルタン星人の得意技は空手チョップ」などというウソ八百を書き並べていると、自分の 心が冷え冷えとした石になって行くような気がして、酒をあおらずにはいられなかった。
この仕事のパートナーには、「怪獣博士」という異名を取っていた円谷プロの少年社員が頼もしい協力者としてついていた。それぞれの怪獣にスミで足跡をつけようというアイディアも彼からのものだった。酔ったままいいかげんに足跡のスミを塗っていると、「怪獣博士」から叱正が飛んできた。「佐野さん、まじめにやってください。この怪獣の足跡にはちっとも重みがないじゃないですか!」
 私は思わずハッとした。あなたは斜にかまえて仕事をしているのかもしれないが、これを買う子供たちは小銭を握りしめて買いにくるんですよ。そういわれたような気がして、仕事中酒を飲むことはそれきりやめた。
これまで映画やテレビに登場したすべての「怪獣」「怪人」を網羅したこの図鑑は売れに売れ、百二十万部を突破するベストセラーになった。それからまもなく私はその出版社をやめ、ルポライターを目指して修行時代に入っていくわけだが、編集者としてこの本を作ったときの気持ちだけは忘れないようにした。・・・・・
(佐野眞一『だれが「本」を殺すのか』プレジ デント社、5-6頁)

ここに登場する《「怪獣博士」という異名を取っていた円谷プロの少年社員》こそ、のちに日本特撮映画研究の第一人者となる16歳の竹内博氏その人にほかならない。『原色怪獣怪人大百科』は、竹内氏が小学生の頃からコツコツ集められた手作りスクラップ資料集が元になっているのだ。

竹内さんは、今47歳で世代的には全く私と同学年同世代である。氏は昭和30年8月、私は31年3月生まれで、私達はみんな物心ついた頃に「ウルトラQ」のテレビ放送に夢中になったのだ(池田憲章氏も学年的には一緒)。竹内氏は大変多彩な方で、数十冊に及ぶ特撮映画の写真集・資料集編纂の仕事のほか、水木しげるさんの漫画作品のシナリオ構成の仕事もある。何といってもライフワークは円谷英二さんの研究で、彼が編集構成し朝日ソノラマから刊行した『写真集 特技監督 円谷英二』は物凄い仕事だと思う。講演会場では、この本も販売する予定だが、1万円する本なのでどの程度取り寄せるのがよいか思案している。

また、伝説的フリー編集者・大伴昌司の生涯を評伝と証言構成で追った竹内氏編集の『OHの肖像 大伴昌司とその時代』(飛鳥新社)も非常に優れた本だと思う。最近改めて読み返してみて、大伴氏の生涯を綴った評伝部分が、岡崎英生氏によるものであることを知り感慨深く思った。岡崎氏は、元『ヤングコミック』の編集者だった人だ。最近『劇画狂時代』という興味深い回顧録を発表しておられる。『OHの肖像』は、わずか36歳で亡くなった大伴昌司氏を弟子の竹内さんが偲んだ本なので、師弟愛に満ちており、編者の思い入れがとにかく凄い。しかし、だからといって、思い入れがほとばしるあまり上滑りするようなことは決してない。極めて緻密で巧みな構成がなされているのである。弟子の竹内氏もまた優れた編集者であることの何よりの証明だと思う。

大伴氏のことは、NHK教育テレビで「少年誌ブームを作った男」という番組が作られ、この番組は何と2回も再放送がなされた。1960年代後期から70年代初めにかけて彼が『少年マガジン』の巻頭紙面「カラー大図解」で行なった仕事は没後30年を経ても、全く色あせていない。大伴氏は『少年マガジン』のほか、『SFマガジン』での映画紹介の連載、キネマ旬報社でのSF怪奇映画特集本三部作など、短い生涯に価値ある高密度の業績を刻んでいる。その大伴再評価の最大の功労者の1人が竹内さんである。『復刻「少年マガジン」カラー大図解』(講談社)などで、原資料復刻という理想的な形で大伴氏の仕事を提示してくださった。見事な顕彰になっていたと思う。

インタビューを読むと、竹内氏は、大きな編集仕事をするたびに身体を壊して入院することを繰り返しておられる。全身全霊を注いで書物やレコード編集の仕事をしてこられたのだ。『復刻「少年マガジン」カラー大図解』や「伊福部昭映画音楽全集」のときも竹内氏は入院されたときいている。

2002年春、竹内氏に講演会打診の公式書簡をお送りしたときも、氏は入院中だった。公立施設での単独講演は初めてとのことで、初めはインタビュー形式でなら応じてもよいというご返事だった。その後私は氏の著作やインタビューを本腰を入れてかなり読み込み、3人に関する文章だけでも相当量あること、従ってそれを再構成して各々30分間万感の思いを込めてお話いただければ、きっとうまくゆくのではないか、とお願いし単独講演をお引受けいただくことができた。従って、北島町の講演会は、全国初の取り組みなのだ。後年貴重な催しとして、心ある人々に記憶されることは間違いない。 

北島町立図書館・創世ホールは、これまでに紀田順一郎、松田哲夫、種村季弘、山前譲、柴野拓美、長谷邦夫、杉浦康平という諸氏を招いて講演会を開催してきた。その独特な足跡は全国的注目を集めている。この催しにはイベント業者は一切入っていない。すべて講師先生に私が直接交渉し、七転八倒しながらその著作を読んでテーマを煮詰め、諸先生と協議を積み重ねてはぐくんだものなのだ。また予算書を見ていただければ一目瞭然だが、講師先生への謝礼は旅費宿泊費込みで毎回10万円代なのである。どうせ行政がやっていることだから、潤沢な予算を湯水のように使っているのだろうなどと、邪推されると大変心外だ。竹内さんではないが、私も1つ1つの催しに命を削っているのである。

今回、私は初めてチラシ等で使用する写真の肖像権許諾交渉を経験した。講演会のチラシと当日パンフレットで3人の写真を使用するのだが、竹内さんと2002年9月に池袋のミステリー文学資料館で打ち合わせたとき、円谷英二さんの写真を使用する際には肖像権管理をしている「円谷コミュニケーションズ」の許諾が必要であるというご助言を受けた。さらに円谷さんの隣にゴジラが写っていたら、東宝とのロイヤリティが発生するため追加で東宝への許諾交渉が必要になるということだった。同様にその写真が円谷さんとウルトラマンの場合なら「円谷プロダクション」に交渉する必要が生じるのだ。無論無料ではないので、今回は円谷さんの写真はすべて単独のものを使用することにした。

竹内さんが語る3人への思いが、聴衆の胸を打つであろうことを私は確信している。既に筆を絶ち、大学生のファンなどが自宅に来ても絶対会おうとしなかった香山滋氏が、十代の竹内氏には出入りを許していたこと。36で急死した師匠の大伴昌司氏を偲んで、一緒に行くはずだった映画「十戒」のビデオを年に一度はみて、大伴氏が好きだったハイライトを吸っていることなどのエピソードもお話いただくことになっている。 

恐らく世の多くの人は、怪獣・特撮物を取り上げるときいただけで、軽くみるだろう。町長にこの企画をプレゼンしたとき、私は、講演の結びで講師先生には「世間からややもすれば疎んじられる怪獣の研究を自分は40年続けてきた。しかしそのことにいささかも悔いはない」とお話いただき、物事に打ち込むことの大切さを人々に訴えることにしていると、企画意図を語った。町長は「そうか、しっかりやってくれ」といった。催し当日、県内外から集まるであろう心ある愛好家の人たちには、真剣な私達の思いが必ず伝わると確信している。私は、誇りをもって3月23日(日)午後2時半開演の竹内博氏講演会「3人の怪獣王~円谷英二、香山滋、大伴昌司」に全力を傾注する所存である。力強いご支援をお願いします。(2003・1・11脱稿 小西昌幸)

後記

「創世ホール通信」2003年1月号をお届けします。年末12月25日午後に私(小西)の父親が入院、翌26日早朝帰らぬ人となりました。心筋こうそくでした。御用納めの27日が、突然の葬儀となりました。しかもその27日に竹内さん講演会のチラシ、ポスター版下を印刷所に手渡すことになっていたので、26日私は葬儀屋さんと葬儀日程を協議してから急きょ職場に向かい、1時間で版下の仕上げと指定メモを書き上げるというありさまでした。以後てんやわんやの事態が今もなお、続いています。催しには、毎回様々な思い出がついてまわりますが、今回の講演会は父の死という特別の思い出が付きまとうことになりそうです。そんなこんなで、すっかり「創世ホール通信」の発行が遅れてしまいました。深くおわびいたします。(小西昌幸)

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