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文化ジャーナル(平成17年10月号)

文化ジャーナル10月号

紀田順一郎先生講演会に寄せて

紀田順一郎先生と電話で初めて話したのは、1994年秋のことだ。
当時私は、1人で編集していた町の広報紙「北島タイムス」11月号で読書の秋特集を組んだ(私は、総務課から広報紙制作の仕事を抱えたままで図書館・創世ホールに異動するという超変則体制で、死にそうになって仕事をしていた)。

独自のカラーを出すために、私は特集用に2つのコラムを書いた。1つは「書斎について」という文章で、荒俣宏さんがサラリーマン時代に毎日の昼食を抜いてデパートの階段の踊り場で翻訳作業することを自分に義務づけていたことを紹介した。もう1つが「出版人の心意気」という文章で、ここで紀田先生の著作から多くを引いて、あるエピソードを紹介させていただいた。以下にそのコラムを転載する。


【「北島タイムス」1994年11月号に小西が書いた文章】

読書の秋特集コラム 出版人の心意気

紀田順一郎氏は書物をこよなく愛し、『古本屋探偵の事件簿』という古書 マニアの登場するミステリまで書いている人だが、氏の『古書街を歩く』 (福武文庫)や『図書館が面白い』(ちくま文庫)は本好きには答えられない本だ。特に、『古書街を歩く』の中の『広文庫』『群書索引』復刻にまつわるエピソードは志にあふれている。『広文庫』は、日本の古文献から5万項目ものあらゆる事項を50音順に配列した百貨全書で、『群書索引』はその索引。編者の物集高見(もずめ・たかみ)は準備期間も含めると、30年間をかけてこの百科全書を完成。息子・高量(たかかず)も父を手伝った。しかし、この間、一家はこの仕事のため全財産を使い果たし、はては書物や布団までも債権者に押さ えられたが、奇特なスポンサーの出現によりやっと刊行にこぎ着けた。ときは1916年、物集はすでに70歳になっていた。彼は1928年に死去。高量は、戦時体制に突入した1937年同書を絶版にした。1万数百セットを売っていたという。
時を経て1974年、『広文庫』『群書索引』復刻を思い立った新興出版社・名著普及会の出版部長は、電話帳で物集高量(もずめ・たかかず)の名を発見、その生存を知る。このとき物集は、90代半ばで生活保護を受け殆ど寝たきりの状態で1人暮らしていた。社長と出版部長の復刻の申し出に対して、物集は、やめた方がよい、あなたの会社がつぶれる、うちもそうなった、という趣旨のことをいうが、社長は、よい物は売れる、売ってみせますと答えるのだ。そして物集から、最近の出版界のことはよく分からないが、お宅と講談社ではどちらが大きいのですかと問われ、社長はいう。「規模からいうと講談社が大きい。しかし、精神においては、うちがはるかに大きい」。同書の復刻は大きな話題を呼び、成功を収めた。物集高量を支援する後援会も学者たちによって生まれた。そして物集は1985年、106歳の大往生をとげた。ここには、出版に誇りをもつ人々の、熱い魂と心意気が描かれている。(小西)


この「北島タイムス」を紀田先生にお送りすると、先生からすぐていねいな返信が届いた。それで私はその先生の葉書を「北島タイムス」12月号の編集後記に転載することにし、そのご許可を頂戴するために電話をかけたのである。冒頭に記した初めての電話というのがそれである。先生はとても気さくな口調で、いいですよと述べられた。葉書は次のような内容である。


【紀田順一郎先生からの葉書 「北島タイムス」94年12月号掲載】

拝復。小生の本をご紹介いただき、感謝しております。広報を興味深く拝見。熱心な利用者が沢山居られるようで、嬉しき限りです。
小生、偶々在徳島のジャストシステムの「一太郎」に関係あり(辞書監修委)、その開発責任者のAさんという方が、北島町にお住まいのため、特別の親近感を抱いている次第です。
近々ジャスト出版部から『日本博覧人物史』(1月刊、『日本語大博物館』 続編)および『アメリカ・メディア紀行』(荒俣、柏木両氏と共著)が刊行されます。とりあえずご返事まで。次の広報楽しみにしております。草々[横浜市/紀田順一郎]


今、講演会準備に没頭している立場から振り返ってみると、これらのやりとりが1年3か月後に第1回創世ホール講演会(1996年3月17日、講師=紀田順一郎先生、演題「書物と人生 辞典づくりに賭けた人々」)に結実していったのだと思い至る。先のコラムを書いた当時は、全く私に講演会の構想などはなかったので、改めて人の縁の不思議さを感じる。「規模からいうと講談社が大きい。しかし精神ではうちがはるかに大きい」のフレーズは、この10年、私の大きな心の支えになっている。

このたびの講演企画は、今年の春ごろ思いついた。当通信を熟読し、当館の実情をご存じの方にはあえて言うまでもないことだが、創世ホールの音楽事業の予算は、昨年度(2004年度)からゼロになっている。野坂惠子先生の演奏会「伊福部昭の箏曲宇宙」が最後だった。地方財政危機の現われでそうなっているのだ(アイルランド音楽、遠藤ミチロウ、旭堂南湖寄席等はもともと最初から予算無しで続けてきた。だから私が好きなことしかやらない)。従って、創世ホール自主事業で町予算のついているものは20万に満たない講演会事業だけなのである。私流にいえば、それは最後の砦なのである。

2005年春、紀田先生に2度目・10年ぶりの講演打診の電話をしたとき、先生はご体調のことをおっしゃった。数年前に全身麻酔を3回受けるような手術をされた。その後長時間立つような講演会は控え気味にしているとのことだった。指定管理者制度問題も話し合った。北島町にもその話が出ていますというと、先生はため息をつかれた。先生は、神奈川県では文学館の管理を清掃業者に任せるプランがあるという、冗談のような状況をお話になった。 これが日本の文化の現実であり、実情なのだ。私は、これから毎年、講演会事業はその都度背水の陣で望み、次年度の状況は予想できないこと、だから開催ごとに総力戦でゆきたいという趣旨の話をした。小西さん、そういうことならね、なんとかやる方向で考えさせていただきますよ。紀田順一郎先生は、そうおっしゃった。義侠心のある方なのだ。教育長にその話を伝えると大層喜んで、小西君、良かったなあ、といった。

人口2万人の四国の田舎町北島町で私たちは、種村季弘先生(故人)や長谷邦夫先生や柴野拓美先生や杉浦康平先生など、そうそうたる方々10人の講 演会を積み重ねることができた。全ての講演会で、講師の方々の熱く高い 志を受け、ここまで続けてこられたのである。底流に共通して流れるものは「規模からいうと講談社が大きい。しかし精神ではうちがはるかに大きい」にも通じる諸先達の方々の激励や心意気、熱い真情であると受け止めている。

会場ロビーでは、いつも通り書籍資料を販売する。創元推理文庫(紀田著『古本屋探偵の事件簿』『古本街の殺人』『古書収集十番勝負』『第三閲覧室』、紀田訳『M・R・ジェイムズ怪談全集1』『同2』、紀田+東雅夫編『日本怪奇小説傑作集1』『同2』、平井呈一『真夜中の檻』)、雑誌『幻想文学』の在庫分から紀田先生インタビュー掲載号3種、松籟社の紀田本2種という陣容だ。紀田先生のお申し出により、特別プレゼントとして『ゴシック幻想』などの著書・編著書が届くことになっており(全20点前後)、それらはロビーでの書籍購入者にスピードくじを引いていただき、当たりが出たら1冊差し上げるという形式にしようと思う。

10月1日から図書館カウンター前スペースでは「紀田順一郎の幻想書林」と題して、関連資料の展示をしている。私の家から持参した雑誌『幻想と怪 奇』全12冊など50点をガラスケースに並べた。 また貸し出し用に紀田先生、荒俣宏氏の本、平井呈一氏の翻訳書など、約150点の本も集めている。ぜひ覗いてみて欲しい。

SRの会の会長さんはじめ、県外からの参加情報も寄せられはじめている。 多くの皆さんのお力添えで10・30講演会「幻想書林に分け入って」を成功 に導きたいと職員一同願っている。多大なご支援ご指導をお願いいたします。

3名の近影

平井呈一先生資料蒐集行。2005年6月、右から紀田、荒俣宏、俳人I氏(平井先生資料旧蔵者)

(2005年10月7日脱稿 敬称一部略 文責=北島町創世ホール企画広報担当 小西昌幸)

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