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文化ジャーナル(平成17年11月号)

文化ジャーナル11月号

紀田順一郎先生講演会を終えて

10月30日の紀田順一郎先生講演会「幻想書林に分け入って~ミステリー& イマジネーションの60年」には150人の参加者があり、誠に充実した内容の催しになった。素晴らしい映像資料(感嘆・驚愕の連続)を入念に準備して、極めて深い内容のレクチャーをしてくださった紀田先生をはじめとして、ご支援いただいたすべての方々に深く感謝しなければならない。本当にありがとうございました。

講演の冒頭部分(導入部)を特別に採録しておきたい。この導入部分だけで、北島町での講演がいかに貴重なものだったかご理解いただけると思う。(以下大意。文責=小西)


【10・30紀田順一郎先生講演会冒頭部分要約】

今や書店ではファンタジーをはじめ、怪奇幻想的な書物が溢れている。普通の小説にも怪奇幻想的趣向を取り入れてそれを表現の手段にするということが一般的になっている。ハリーポッターの翻訳が出る年は出版界全体の売り上げが少し伸びるといわれるほどの勢いであり、今や怪奇幻想文学はメインストリームであるということもできる。

今日話すのは、怪奇幻想文学がまだよく理解されなかった時代─これほど盛んな状況になるとは予想もつかなかった時代─から、だいたい1970年代までについて。価値観が多様化して社会のあり方も変わり、こういう小説がメインになってゆく、その前段階についてである。その現場で、私はいささか怪奇幻想文学普及に務めさせていただいた。関わらせていただいたその思い出をお話しようと思う。

たまたま数年前に岡山に書庫を増設したので資料整理していたら、たくさん当時の資料が出てきた。そのまま廃棄物に出そうかと思ったが、一緒に活動した友人・同人たちや編集者や出版者の方々の顔が目に浮かんできて、捨てることを思い留まった。それから約5年間、実は、こういうことを発表する機会をひそかに待っていた。そこへ創世ホールからこういう内容を話して欲しいというご要望があり、「よしきた、ではそれをやろう」ということで準備して参った次第だ。中には個人的な思い出にわたる個所もあるかも知れないが、初めてお話することでもあり、これを本にまとめる機会もあることと思う。どうぞ最後までおつき合い願いたい。


そして、プロジェクターからの投影に移行した。プロジェクターは客席の6列目に設置し、舞台上のパソコンから先生ご自身の操作で映像を切り替えできるようにセットしてあった(実は数日間苦心した)。息を呑む画像資料が繰り出され、情熱に満ちた開拓者たちの生身の秘話が明かされて、スリルと興奮の連続。あっという間の百分間だった。私は講演の間中、胸がいっぱいで(感無量で)、プロジェクターの後ろに座り、心の中で嗚咽を漏らしていたような状態だった。とりわけ、感動した部分を走り書きしておこう。

紀田先生は、若くして亡くなった友人・大伴昌司さんとのエピソードに多くをさかれた。それは美しい友情に溢れていた。アーカム・ハウスから届いた資料をみて、人間のもっとも原初的な感情は恐怖である、という言葉に感銘を受けたこと。周囲との疎外感や孤独の中で好きな小説に没頭し恐怖小説の鬼となって他界したラヴクラフトのこと。大伴さんがアーカム・ハウス関係の一連の写真をみてじっと考え込み、ポツンと「ホラーの雑誌をやろう」と言いだした。 2人で千葉の平井呈一先生のところを訪ねて、顧問になっていただく。そのときの平井先生との会話。紀田「先生、『オトラント城奇 譚』を翻訳刊行してくれる出版社があれば手がけたいという気持はおありですか」、平井「やるよ、やるとも」、紀田「それじゃあ、きっと探して来ますから」。紀田先生はこの約束を果たす。数年後、それを『怪奇幻想の文学』第3巻で実現されたのである。このエピソードには平井呈一翁への深い尊敬が表われ、約束を結実させた紀田先生の志も大いに胸打つものがあった。

国書刊行会に《世界幻想文学大系》の企画をもちこんだときのエピソード。既に20社もの出版社に持ち込んで流産を繰り返していた企画だったが、国書刊行会の社長さんが「いいですよ。うちがやりましょう」とあっさりOKを出した。思わず「そうですか、本当ですか」と聞き返した。気が変わらないうちにと思って、あわてて外に出た。同社の階段は大変急で昇るときは《心臓破りの階段》と呼ばれていた。その階段を転がるように降りて、荒俣宏さんに電話で報告した。電話の向こうで荒俣さんは「本当ですか。信じられないなあ」といった。(「信じられないなあ」が荒俣さんの口癖だった)。

本はたくさん売れて、サインの列は随分長く続いた。

講演の十日前ぐらいに、思いがけず新潟の高本條治さん(国語学、一太郎辞書監修委員、上越教育大学助教授)からジャストシステムの人と行くぞという連絡を頂戴し、それをネット上でやりとりしていると、高本さんのご友人の高知の方が自分も講演会に参加する、と言い出したりと、不思議な熱気 が拡がっていった。柴野拓美さんの講演会に来て下さった千葉の代島氏は 『ザ・ホラー』の揃いと共に徳島入りした。京都の出版社・松籟社の木村浩之さんも夫人と共におこしになった。SRの会の田村良弘氏(大阪)も来られた。県外からの来場者数は柴野さん講演会の樹立記録に匹敵すると思う。

紀田先生は、きちょうめんな方で今回も講演会打ち合わせで頻繁にファクシミリや電子書簡等のやり取りをした。それは全部で二十通はあると思う。最後に講演会終了後の往復電子書簡を採録して、このレポートを閉じたい。


【10月31日9時47分付電子書簡/紀田順一郎→小西昌幸】

小西昌幸様
昨日は本当にありがとうございました。十年ぶりに伺い、小西さんをはじめ皆様お元気で活躍なさっておられることに、非常な喜びを覚えました。準備に大変だったことも実感され、つくづく感謝しております。教育委員の皆様をはじめ、貴館の職員の方々文学書道館の丁山様などにも感謝しております。ドイツ館の館長田村様、海野十三の会の山下様などにもお会いできたことは幸いでした。遠方からご参加いただいた代島さん、田村良弘先輩をはじめとする熱心な聴衆の方々にも勇気づけられました。幻想怪奇文学には多くのファンがいるのですが、それをこのような形でオルグしていただいたのは、まさに小西さんのおかげです。帰途は空港で、林啓介様にお会いすることができました。短い時間ですが、ドイツ館の映画化監修などのお話も伺うことができて、幸いでした。どうか皆様によろしくご鳳声くださいますよう、お願いいたします。とりあえず、お礼申し上げます。

紀田順一郎


【11月1日16時35分付電子書簡/小西昌幸→紀田順一郎】

紀田順一郎様
10月30日の講演会では本当にお世話になりました。さっそくのごていねいな電子書簡に恐縮しています。
講演会は大好評で、本も81冊売れました。先生の小説の文庫(創元推理文庫)は5冊ずつ注文していたのですが、完売。もっと(各10冊ずつぐらい)仕入れとけば良かったと思いました。『幻想文学』のバックナンバー3種は、合計35冊仕入れて、17冊販売しました。松籟社の2種類の本は各15冊の納品で、最新刊の2冊が残ったのみでした。 プレゼントの趣向もきいたようで、高本條治先生は最初に買った1冊でアタリが出たので、その後もくじを引くために買い続け、合計5冊紀田先生の本を買われたそうです(あとは全てハズレだったとの由)。高本先生にも様々な意味で思い出深い講演会になったようで、ミクシィという会員制巨大掲示 板のご自分の日記でそのことを書いておられました。入場者数は150名で した。当日パンフレットは、余分があるので、近日20部程度お送りします。このたびは本当に素晴らしいご講演をありがとうございました。あの、映像資料は一度だけではもったいないので、もっともっと大都市圏であの種の催しがあってもよいのではないかと思います。朝晩冷え込んでまいりました。くれぐれもご自愛ください。それでは失礼いたします。

小西昌幸


【11月1日16時58分付電子書簡/紀田順一郎→小西昌幸】

うれしいお便りをありがとうございます。本が売れて、大安心です。高本先生がそんなに買われたとは、恐縮です。早速メールしてみます。創元社の牧原さんからも盛会だったという話を聞いて、当方に連絡がありました。ともあれ、本当にお世話になりました。幻想怪奇文学に関し、公的な場でスライドつきで講演ができるなどは、夢のまた夢であったことが思い起こされます。いずれ本にまとめたいと思います。まずは重ねてお礼まで。

紀田順一郎


(2005年11月8日脱稿 敬称一部略 文責=北島町創世ホール企画広報担当 小西昌幸)

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