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文化ジャーナル(平成18年1月号)

文化ジャーナル1月号

東京訪問記 2005年12月17‐19日

2005年秋、箏曲演奏家・野坂惠子さんからリサイタルの招待状を頂戴した。催しは昨年と同じ津田ホールであり、開演日時は12月17日午後6時。お世話になった恩義のある方であり私は今年もぜひ行こうと考えた。そして少し東京滞在して、会わねばならない何人かの人に会っておこうと思った。

【2005年12月17日(土)】7時45分徳島空港発の飛行機で羽田へ。目白の宿舎に荷物を置いて、新宿で買い物をしたあと、12時京王線の明大前。モダーン・ミュージックで待ち合わせ、知人4人と会って昼食をとる。顔ぶれは生悦住英夫(モダーン・ミュージック店長、PSFレコード代表)、 石戸圭一 (自主レーベル・いぬん堂代表)、JOJO広重(アルケミー・レコード社長) 、美川俊治(インキャパシタンツ)の諸氏。オムライスを食べながら、近況報告と周辺に存在する困った人々のことなどを話し合った。食後外に出て通行人を呼び止めて全員並んで記念撮影。生悦住さんは自分の店へ、残ったメンバーは広重さんのカードの店《Jo'sスポーツカード》に移動。カードの世界のことを教えていただいた。広重さんは某玩具メーカーのアドバイザーのようなお仕事もしていて、最近ある企画に関わってそのカードは完売したとの由。特撮物の食品玩具などの話をしていて、これはご存じですかと広重さんが出してきたのが「怪奇大作戦」のフィギュア。それは食品は付いていないフィギュアのみの物で、中年のマニア心を直撃する内容だった(「京都買います」のラストシーン再現など)。お土産に3体もいただき、ひたすら感謝。

途中モダーン・ミュージックに舞い戻り、私は、頭士奈生樹氏のCD「パラダイス」を購入。午後3時過ぎ集まりは解散。私は広重さんにお供して高円寺へ向かう。今夜、高円寺のペンギンハウスで三上寛さんと広重さんの共演企画があり、そのリハーサルが4時からなので三上さんにお会いして2月18日の創世ホールでの催しの件でごあいさつをすることになったのだ。高円寺へは広重さんの車で向かう。後部座席には広重夫人と、今夜ドラムスを担当する尾谷さん。広重夫人は、えん然としたたたずまいで静かな微笑みを浮かべ大変な美人だ。車中、広重さんから平山蘆江(ひらやま・ろこう)「火焔つつじ」が90年代に映画化されていたことを教えられた。後で広重さんは夫人のことを「私が今まで会った中で一番胆のすわった人です」といった。

午後4時頃三上寛さんが登場。私は三上さんに2月の催しの件であいさつをした。そして、北島町創世ホールでのコンサート時に三上さん屈指の名曲である「負ける時もあるだろう」を演奏していただくことは可能でしょうかとお願いしてみた。私にとっては、この二十年以上その歌が自分の人生の指針のようになっていて、くじけそうになった時はそれを励みにして、折に触れて思い出してきた。それを職場の演奏会で歌っていただけたならこんな嬉しいことはないので、ていねいにお願いしてみようと思ったのだ。三上さんは、「いいですよ」とおっしゃって、あの歌には皆さん色々思い入れをしてくださっていてねえ、と北海道の人のエピソードを紹介してくださった。私は、創世ホール講演会の資料をお渡しした。講演会資料は、九條今日子さん講演会と長谷(ながたに)邦夫さん講演会のもの。三上さんは、九條さんの催しが3月20日だったのを知り、この日は俺の誕生日なんだよ、そうかー、としみじみおっしゃって、それから「長谷さんとは昔、新宿の飲み屋でさんざんバカやったんだよなあ」とつぶやいてニッコリ。

3人並んで記念写真を撮って私は千駄ヶ谷に移動。駅前の津田ホールへ。午後6時、野坂惠子さんの第21回リサイタル開演。プログラムは、第1部が松村禎三「幻想曲」、浦田健次郎「碧潭第七番~独奏箏による」、第2部が浦田健次郎「五段幻想~二十五絃箏による」(委嘱作品・日本初演)、松村禎三「冬の曲~二十五絃箏のための」(委嘱作品・初演)という構成。全てたった1人の神業的演奏だ。野坂さんはいつも若々しく美しい。素晴らしいとしかいいようがない。会場には伊福部達ご夫妻がいた。そして招待席に、2005年3月の九條今日子さん講演会で飛び入り出演された森崎偏陸(もりざき・へんりく)さんの姿が見えたので、お声がけしてみた。森崎さんは近年、松村さんの助手をされているので 関係者なのだ。1月7日の「竹宮惠子の世界展」(徳島県立文学書道館)オープニング・セレモニーに行く予定だったが、松村さんの映画音楽の仕事が入ったため機会を改めるとの由。竹宮さんは寺山修司さんと仲良しだったので、元天井桟敷の森崎さんとも当然交流がある。森崎さんは月に一度淡路島のご実家にお帰りになっているのでそのタイミングなら徳島入りしやすいのである。私は氏に2月の18・19日でご検討してはいかがでしょうか、と2・18【三上寛vsJOJO広重】のチラシをお渡しした。そして19日は文学書道館で夏目房之介さんの講演会があるとお伝えした。演奏会が終わり、私は志高い音楽に接した至福を噛みしめて目白の宿舎に直行した。

【12月18日(日)】10時ホテルをチェックアウト。品川のホテルパシフィック東京へ。今日11時に、同ホテル3階にある加賀料理の店《大志満》で四至本アイさん(大伴昌司氏ご母堂)、紀田順一郎さん、池田憲章さん、私 の4人で待ち合わせ、同店にて食事をするのである。3階ロビーには20分ぐらい前に着いたが、紀田先生は既に来ておられた。2人で《大志満》に移動すると店の前のソファにアイさんがいた。お店が正式オープンするのは11時半なので、それまで歓談。お2人は30年以上経ての再会だ。アイさんは青年時代の紀田さんがいかにハンサムだったかを微笑みながら語り、紀田さんはしきりに照れていた。やがて池田氏も来た。4人で食事しながら、大伴昌司さんの思い出などをお聞きした。途中、喫茶部に移動して午後2時まで語り合った。記念写真を撮り解散。タクシーでお帰りになるアイさんを見送った。

以下は残念ながら、紙幅の関係で簡単な記述にとどめる。午後3時、新宿K書店6階エレベーター前でサエキけんぞう氏と合流。末広亭そばの喫茶店で、2006年9月の極秘プロジェクトの打ち合わせをした。

午後6時半、再びK書店6階。府川充男さんゲスナー賞残念会参加者との待ち合わせである。府川さんの3千頁を超す大著『聚珍録 圖説=近世・近代日本〈文字-印刷〉文化史』(三省堂)が 書誌学研究のコンクール、ゲスナー賞で選外になったのでその残念会だ。参加者は全6名(以下順不同、敬称略)。府川充男(築地電子活版代表取締役、印刷史研究会)、横山寿信(聚 珍社)、前田年昭(ラインラボ、聚珍社)、平賀隆二(元写研)、小林功二 (元『DTPWORLD』編集長)。ライオンに行き残念会をした。府川さんは前日がご自分の会社、前前日が『アイデア』誌の忘年会だったとの由。10時に店を追い出され店の前で通行人を呼び止め記念写真を撮影。楽しい会合は解散し私は横山さんのお家のある所沢に、他の方々は新宿2丁目等に移動した。横山さん宅のおいしい紅茶をいただき午前1時過ぎ就寝。「ダイハード」のような目まぐるしい1日だった。こんな体験は今後あまりないだろう。

【12月19日(月)】11時、池袋・八勝堂書店で木部与巴仁(きべ・よはに)氏と合流。高田馬場に移動しエスニックな雰囲気の喫茶店で互いの近況報告をした。

午後1時半、護国寺駅に移動。出版芸術社を訪問し、池田憲章氏と共に原田裕社長に2度目のインタビューをした。約2時間お話を伺った。江戸川乱歩さん、鮎川哲也さん、山田風太郎さんらとの交流を中心にお聞きした。午後4時半撤収。品川経由で羽田空港へ。夜8時過ぎ徳島空港に帰還した。

(2006年1月13日脱稿 敬称一部略 文責=北島町創世ホール企画広報担当 小西昌幸)

人物写真6枚

写真上段左=明大前で左から石戸、生悦住、美川、小西、広重
上段右=高円寺で左から広重、小西、三上
中段左=新宿で左からサエキ、小西
中段右=品川で左から紀田、池田、四至本、小西
下段左=新宿で左から前田、小林、小西、府川、平賀、横山
下段右=音羽で左から池田、原田、小西 (敬称略)

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