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文化ジャーナル(平成18年4月号)

文化ジャーナル4月号

2月24日、戦後テレビ・映画界をけん引した代表的脚本家・佐々木守氏が他界された。享年69。佐々木氏をよく知るSF特撮研究家の池田憲章氏に追悼文を書いていただいた。〔編集部〕

佐々木守さんの目線 池田憲章

脚本家の佐々木守さんに初めてお会いしたのは、大和書房で1984年に出版されたシナリオ集『ウルトラマン・怪獣墓場』に収録する実相寺昭雄監督との対談の進行役としてだった。親しいふたりだけでは、読者が知りたい話題が出ずに終わってしまうかもしれない……読者のかわりに話題をふってくださいと編集部の青木さんが頼んできたのだ。「ウルトラマン」の人間が変身した 怪獣ジャミラが出てくる「故郷は地球」、悲しくてちょっぴりおかしい亡霊怪獣シーボーズが現われる「怪獣墓場」、「怪奇大作戦」の岸田森の名演とその表情が忘れられない「死神の子守唄」「京都買います」の作者に会えるのか……と緊張していたのを思いだす。佐々木守さんは眼光するどい、ときに殺気すら思わせる目線が印象的な人で、その中でフッと屈託なく笑われる瞬間がさらに印象的で、対談に同席して、いつの間にか私もかなり発言していて(佐々木さんは 傍観者でいるのを許さない香りがある人だった)、忘れられない出会いだった。

雑談の中でラジオの台本を書いていた若い25歳頃の話になって、「ラジオ漫画というか、橋本洋二さんがディレクターで『少年ロケット部隊』や『日本少年』なんてドラマも書いていたよ」というからビックリ。「よく聞いてましたよ。横山光輝さんと益子かつみさんの漫画が原作でしょう?」と言うと、佐々木さんは目を丸くして「本当!?驚いたなあ、いくつの時?」。「6歳か、7歳の頃です」。「そうか、君達が聞いててくれたのかあ」と不思議なものをみるように言われ、「僕も小さい頃から、NHKの ラジオの子供番組を聞いててね。海野十三の原作のSFドラマもあった。お金がなくても、ラジオなら聞けるだろう。毎日、毎日、楽しみだったなあ」と遠くを見るような顔をされていた。

後年、海野十三の少年小説を調べていて、金属生命の宇宙人と戦う「宇宙戦隊」で高速振動を使って姿を透明化する円盤が出てきて「故郷は地球」のジャミラが乗る円盤が透明化するアイデアの原点は、この作品だと気づいた。戦争中にこの作品は、「成層圏戦隊」の題名でNHKの「子供の時間」でラジオ放送されていた。 戦前の少年読者にとって、海野十三という人がどう思われていたのか、何回もお話を聞かせてくれた。「僕はいつかNHKの戦前からのラジオの『子供の時間』から、戦後のラジオの子供番組、『月光仮面』から『ウルトラマン』、『おくさまは18歳』と言う子供番組のTVへの歴史を書かなくちゃいけないんだ」と80年代後半からよく話されていた。ここ数年、連続して出版された『戦後ヒーローの肖像/「鐘の鳴る丘」から「ウルトラマン」へ』(岩波書店)、『ネオンサインと月光仮面/宣弘社・小林利雄の仕事』(筑摩書房)は、20年以上に渡って資料を調べ、ねばり強く追い続けてきた佐々木さんの宿願を果たす著作だった。2冊とも刊行直後にすぐ読んで、我慢できずに夜、電話をかけて「やりましたね。佐々木さんにしか書けない本です」と言うと、電話の向こうで「いやあ…」と照れていて、その笑顔が見えるようだった。

佐々木守さんは、昭和11年石川県に生まれた。明治大学国文科に進み、児童文化研究部に入って人形劇を演じたりした。そして、学生運動に没頭、砂川闘争では16日間砂川に泊まりこんで仲間と共にスクラムを組んで、機動隊と対決した。大学を出て、記録映画作家協会の事務局で働き、記録映画作家の松本俊夫氏と出会う。アルバイトでラジオ台本を書きながら、TBSの橋本洋二ディレクターを紹介され、社会教養部が取材・構成していたラジオ・ドキュメンタリー「伸びゆく子どもたち」の脚本に参加、日本中のさまざまな子供の実態を紹介していく番組で、それは子供と真剣に向き合う教師や大人たちを活写する番組でもあった。当時、川崎で先生をしていた阿部進さんの授業と子供たちを取材、この番組は『週刊朝日』に取り上げられ、やがて《現代っ子》と呼ばれる子供たちの実態に大人たちが気づく最初のきっかけになった。

佐々木さんはさらに松竹を辞めて新たな映像制作集団を結成した大島渚監督、脚本の田村孟氏、石堂淑朗氏、俳優の戸浦六宏氏たちの創造社に参加、大島監督から「年齢も近いし、合うだろう」と紹介されて実相寺昭雄ディレクターと出会う。1965年からはTBSの社会派刑事ドラマ「七人の刑事」の脚本を手がけ、今野勉ディレクターとコンビを組んで、1968年まで(「ウルトラマン」「ウルトラセブン」「怪奇大作戦」と並行して)13本の脚本を書き上げている。1966年には「ウルトラマン」で実相寺昭雄監督と、1967~68年には「メリー・ポピンズ」に想を得た日本には珍しいファンタジーのメルヘン「コメットさん」を山際永三監督とコンビを組んで手がけ、1970~71年には「柔道一直線」全92話中、57話の脚本を 執筆、「おくさまは18歳」のメイン・ライター、脱ドラマとして評判を呼んだ「お荷物小荷物」の全38話の脚本と、ヒット作と充実した内容のドラマを連発し続けた。

NHK人形劇の「ひょっこりひょうたん島」の取材で女優の中山千夏さんにお会いした時、「佐々木守さんとよく会うんですよ」と話したら、中山さんがクスクスッと笑って「井上ひさしさんもおかしい人だけど、佐々木守さんもおもしろい人なの。よく遊んでもらったし、今でもあの番組で共演した林隆三さんや浜田光夫さんと会うと楽しかったなあと話すの」と「お荷物小荷物」の思い出をうれしそうに語ってくれた。

TBS・大映テレビの「赤い運命」(1976)、「赤い絆」(1977~78)の山口 百恵出演シリーズ、昼メロに浦島伝説をからめた異色の怪奇ファンタジー 「三日月情話」(1976)全35話の脚本、これは真船禎監督の演出も絶品だった。ドキュメンタリー番組と番組構成も80タイトル以上あり、「すばらしい世界旅行」(1966~90)が代表作。9年続いた「知ってるつもり」(1989~98)は矢野義幸氏と総合構成を担当した。マンガ原作でも「男どアホウ甲子園」(1970~75、水島新司・画)他33作品を手がけるヒット・メーカーだった。

静岡放送のドキュメンタリー番組で成田闘争を取り上げ、明治時代、静岡から追われた徳川藩の人々が成田の土地へ移住し、何十年もかけ、畑をたがやし、やっと新しい家族の安住の地となった時、再び政府から転居を求められた実情を描き、個人の幸せより国家の利益を平然と優先する日本国と日本国民に痛烈な批判を展開した。

個人の幸せを、夢を奪う権利は誰にもない。政府や役所や会社やたとえ両親でも。佐々木さんは「子ども」としか書かなかった。大人たちのやっていること、考えていることを見つめている子供たちの世代を、一人前の人間として考えようと言い続けた人だった。 「大人は子どもの大切な何かを失ったナレの果てなんだ」「いつでも子どもは大人を見つめているんだ」人間主義の発言だった。きびしい目線を持った作家だった。瞳を閉じると、その屈たくのない笑顔が思い浮かぶ。その笑顔は、《人間らしく生きるんだ》と僕らをいつまでもはげましてくれるような気がする。あの目線が忘れられない!!

(2006年3月31日脱稿)


池田憲章◎いけだ・のりあき 1955年埼玉県所沢市生まれ。SF研究家。海野十三研究を通じて創世ホール・小西と交流がある。東京都荒川区在住。日本推理作家協会会員。

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