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文化ジャーナル(平成21年1月号)

文化ジャーナル1月号

ご支援ください。2・22松居竜五氏講演会「南方熊楠の世界」

北島町立図書館・創世ホールは2009年2月22日(日)午後2時半から松居竜五(まつい・りゅうご)さんを講師にお迎えして講演会「古今東西の知識の森へ~南方熊楠(みなかた・くまぐす)の世界」を開催します。

南方熊楠は和歌山の人で、在野の博物学者、生物学者、民俗学者でした。その手短なプロフィールは「創世ホール通信」今号(イベント情報欄)に記してあるので、ご参照ください。今日南方の業績は高い評価を受け、それはますます大きくなっています。

最初の出会いは鶴見和子さんの『南方熊楠』(講談社学術文庫)でした。同書が1981年1月に刊行されて、私はすぐ買いました。平凡社版の『南方熊楠全集』全十二巻を一括購入したのは、翌年1982年1月末のことでした。ちょうど、職場(当時私は産業経済課という部署で農業関係の仕事をしていました)に本をセールスにきた業者さんがいて、その中のリストに『南方熊楠全集』があり、買うことに決めました。南方をめぐる論文集『南方熊楠人と思想』(非売品)と柳田國男との往復書簡集がサービスで付いていました。その後も折に触れて熊楠関係の本を買ってきました。文庫本では阿井景子『花千日の紅なく』(集英社文庫)、杉本苑子『開化待合馬車』(文春文庫)、岡茂雄『本屋風情』(中公文庫)、平野威馬雄『くまぐす外伝』(ちくま文庫)あたり。雑誌特集では『太陽』1990年11月号(平凡社)、『現代思想』1992年7月号(青土社)、『ユリイカ』2008年1月号(青土社)など、ガイド本では『新文芸読本 南方熊楠』(河出書房新社、1993年4月)、『新潮日本文学アルバム 南方熊楠』(新潮社、1995年4月)など、見つけるたび買ってきたのでした。今では30点以上あります。

初めて和歌山県の白浜の財団法人南方熊楠記念館を訪れたのは、1990年3月25日のことです。家族旅行で白浜温泉に行き、記念館にも足を伸ばしました。長女の南方文枝さんの唯一の著作『父南方熊楠を語る』(日本エディタースクール出版部、1981年7月)はその日記念館で購入したのでした。この本の見返しには、記念館のスタンプを押印し、訪問日を記載しています。

南方熊楠という人は面白い存在だと思います。大変頭が良いのですが、常人には計り知れない破天荒なところがあります。59歳のとき、南方植物研究所への資金協力候補者からの求めに応じて書き送った「履歴書」(幼少時からの半生記)は7.5メートルの巻紙にびっしり書かれたもので文字数は四百字詰め原稿用紙換算約140枚あった(4日間没頭して書かれたらしい)とか、アメリカ時代に中国人博徒から5連発ピストルを譲り受けたとか、キューバ時代にサーカス団に出入りしていたとか、とにかく豪快な逸話に事欠きません。そこが彼のなんともいえない魅力です。

講師の松居竜五さんは、1964年5月京都府生まれの比較文化学者で南方研究の第一人者。今44歳の働き盛りです。現在龍谷大学国際文化学部准教授であり、南方熊楠顕彰会理事、熊楠関西研究会事務局という肩書きもお持ちです。南方熊楠の英文論考の精緻な分析により熊楠研究に新たな地平を開いたことで知られる気鋭の研究者です。氏が関わった熊楠本は、『南方熊楠 一切智の夢』(朝日新聞社朝日選書)、『南方熊楠を知る事典』(共著、講談社現代新書)、『クマグスの森』(新潮社とんぼの本)、『南方熊楠の森』(共著、方丈堂出版)、訳書に『南方熊楠英文論考「ネイチャー」誌篇』(共訳、集英社)などがあります。代表作『南方熊楠 一切智の夢』で松居さんは小泉八雲賞奨励賞を受賞されています。

高知には植物学の牧野富太郎(1862-1957)、徳島には人類学の鳥居龍蔵(1870-1953)、そして和歌山には博物学の南方熊楠(1867-1941)がいます。3人はほぼ同時代を生きた人たちでした。彼らは3人とも我が国の学問史上、大きな足跡を残した人たちですが、生前、大学アカデミズムから冷たくされたという共通点があります。このあたりは、2004年の創世ホール講演会で木部与巴仁(きべ・よはに)氏に業績顕彰していただいた音楽界の伊福部昭さんと通じるものがあるように思います。独学で音楽を学び活躍した伊福部さんをアカデミズム音楽業界は冷遇します。しかし大衆が、伊福部さんの骨太で力のある音楽を愛し支えたのでした。

南方熊楠は、1929(昭和4)年6月1日、若き日の昭和天皇に進講します。その実現までには、熊楠に天皇の和歌山入りの日程変更が正式に伝えられないなど、県当局者からずいぶん意地悪をされたようです。熊楠は、在野の学者で奇人といわれていましたから、アカデミズムの学会や官僚体質の連中には天皇が熊楠をじきじきに指名したことが面白くなかったのでしょう。それで露骨に排除しようとしたのだろうと推察されます。この種のおぞましい悪しき官僚機構の体質は、今日もあまり変わらないような気がします。私は断固、熊楠や牧野や鳥居や伊福部を応援する立場を選びたいと思います。

南方熊楠は、古いつぎはぎだらけのフロック・コートを着て、天皇との会見に臨んでいます。その進講の後、夫人の松枝さんと並んで撮影した有名な写真があります。二人とも実に澄んだ目をしていて、そのたたずまいは美しいものだと私は思います。

南方松枝さんは、夫亡き後も、蔵書や標本類を守りとおしました。今日では生家が保存され、その隣りに南方熊楠顕彰館が建てられています。長女・文枝さんの『父南方熊楠を語る』によると、夫人は毎年お盆の季節になると迎え火を焚き書庫を開き、眼鏡を添えて亡き夫の魂に向けて「さあ、お入りなさいませ」と呼びかけていたそうです(同書79-80頁)。南方夫妻に見られる夫婦間の美しいエピソードは、牧野富太郎にも鳥居龍蔵にも伊福部昭にも共通してみることが出来ます。松居さんの講演では、南方夫妻のエピソードにも触れていただけると思います。

創世ホールは、第一回の講演会で紀田順一郎先生に牧野富太郎を取り上げていただきました。先に記したとおり、伊福部昭についても木部さんにご講演していただきました。今回ついに南方熊楠にスポットを当てることが出来るわけです。2月22日(日)午後2時半、私の積年の夢だった企画がひとつ実現します。どうか皆さん、ご支援ください。

(2009年1月7日脱稿/文中一部敬称略/文責=創世ホール館長・小西昌幸)

南方夫妻の写真

提供:南方熊楠顕彰館

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