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文化ジャーナル(平成22年2月号)

文化ジャーナル2月号

テレビマン達の志と熱い友情 2・21今野勉さん講演会へのご支援と結集を

今年度の創世ホール講演会は、演出家・脚本家の今野勉(こんの・つとむ)さんの講演会「わがテレビ青春記~テレビ・ディレクター50年」である。2010年2月21日(日)14時半、関心ある方は万難を排して結集していただきたい。

今野勉さんは『七人の刑事』や『遠くへ行きたい』などを手がけたテレビ・ディレクターで、この世界では伝説的な存在だ。講演会の企画動機は、氏の著書『テレビの青春』(NTT出版、2009年3月30日、本体2800円)を読んだことによる。この本が物凄く面白かったのだ。私はその前年、萩元晴彦・村木良彦・今野勉『お前はただの現在にすぎない』(朝日文庫、2008年10月30日、本体1100円)の復刊文庫も、すぐ買って読んでいた。

創世ホール講演会でお招きする歴代講師の方々は、ある特定ジャンルを代表するような存在や研究者である。日本の戦後SFを俯瞰するなら柴野拓美さんであり、ブック・デザインなら杉浦康平さんであり、トキワ荘マンガ家交遊録なら長谷邦夫さんであり、澁澤龍彦・土方巽を語るなら種村季弘さんであり、アニメ史なら辻真先さんであり、怪奇幻想文学開拓史なら紀田順一郎さんという具合だ。

テレビ開拓史なら、今野勉さんが最もうちの講演会のカラーに合うのではないかと私は不遜にも考えた。もちろん相手のあることなので、OKが出る保証はない。いつものように悩みに悩み、慎重に慎重を期して、数か月がかりで機運を高めて依頼状を書き送り、ご了解をいただいたのである。

『テレビの青春』は、今野さんが1959年4月にラジオ東京(現・東京放送=TBS)に入社してから1970年に日本初のテレビ番組制作会社・テレビマンユニオンを仲間と旗揚げするまでの、激動の12年間を綴った内容だ。しかし単なる回顧録や過去の物語では全くなく、登場人物達のその後の仕事やその人が何年に他界したというようなことも書かれているので、完全に現在と地続きのクロニクル(年代記)となっている。TBS同期入社の同志や、テレビマンユニオンを旗揚げした仲間もその多くが天国に旅立っているので、本書には友への鎮魂の響きも通奏低音として流れているのである。恥ずかしながら本書読了までに私は何度か涙をぬぐうことがあったのだが、それは亡き友や先輩への鎮魂のトーンの故であろうと思う。

今野さんは徳島とも縁がある。板東俘虜収容所をテーマにした作品『望郷・日本初の第九交響曲~板東俘虜収容所物語』(脚本=岩間芳樹、1977年12月17日(土)22時~23時24分、フジテレビ系放映)を演出、徳島で撮影しておられるのだ。このときは、研究者の林啓介さん(鳴門市大麻町在住、阿波の歴史を小説にする会)がロケハンのご案内などをされたとお聞きしている。林啓介さんの短編小説集『ユダヤ人の墓』(創世記、1978年11月10日)の巻末には、今野さんが「林啓介さんの作品とその視点」と題して解説を書いておられる。冒頭の数行を以下転載させていただく。 「私が、林啓介さんと会ったのは、一九七七年の秋、板東捕虜収容所の取材に行ったときである。第一次世界大戦のさなか、ドイツ兵捕虜を収容するために、徳島の板東に捕虜収容所が建てられた。ここに収容された約千人のドイツ兵は、収容所長・松江大佐の計らいで、村人と交流を深め、酪農、建築、印刷、音楽など、ドイツ文化の一端がこの僻地に育った。私たちは、日本で初の第九交響曲(ベートーベン)の演奏が、ドイツ兵捕虜たちによってなされたことを軸にして、テレビでドキュメンタリー・ドラマを放映すべく準備していたのである。/そのとき、自ら自家用車を運転して私たちを案内してくれたのが林さんであった」(今野勉「林啓介さんの作品とその視点」、林啓介著『ユダヤ人の墓』所収)

昨(2009)年12月17日、私は箏曲演奏家の野坂操壽(惠子)さんの演奏会観賞のために上京した。その折にテレビマンユニオンを表敬訪問し、今野さんにごあいさつさせていただいた。そのときの四方山話から今野さんと林啓介さんのつながり、ドキュメンタリー・ドラマ『望郷』演出と徳島とのご縁を知ったのだった。

12月の打ち合わせで、講演の中での映像の扱いを協議させていただいた。講演会は正味90分なので、貴重な時間をフルに生かすために、当初私は映像なしでもよいと考えていた。協議の結果、今野さんのご意向により講演の中で今野さん、萩元晴彦さん、村木良彦さんの初期作品の映像を各5分間程度ずつ上映することになった。個性的な映像スタイルを言葉で表すよりも、実際に見てもらったほうがよいと思うのです、と今野さんはきっぱりと述べられた。2月2日、映像作品が確定した旨のご連絡を拝受した。今野勉演出作品『土曜と月曜の間』、萩元晴彦演出作品『あなたは…』、村木良彦演出作品『わたしの火山』。これらは今現在、通常の方法では見ることが極めて困難な作品群である。ぜひ創世ホールで接していただきたい。

『テレビの青春』は、先にも書いたが実に魅力的な書物であり、熱気に満ちている。以下その感想を走り書きしてみる。入社直後、AD(アシスタント・ディレクター)として物凄く多忙な日々を送っていた今野さんが、ある日下宿に帰って布団を広げようとヘリを持ったらそのままの姿勢(くの字の形)で眠りこけてしまい、気が付いたら朝だったというとんでもないエピソードが登場する。テレビ草創期の番組作りの現場は、それだけ壮絶な修羅場のような日々だったのだ。

今野さんは芸術祭参加作品『土曜と月曜の間』(1964年)の演出を任される(同作品は翌年、国際コンクール・イタリア賞を受賞)。そのADを務めたのが、同期入社の吉川正澄氏と村木良彦氏だった。苦難の連続だった撮影は、吉川氏と村木氏の見事なサポートで無事完成する。吉川・村木両氏は今野さんの一歳上だった。今野さんは二人の熱い友情に対して、「これからの生涯の中で二人から何か頼まれることがあたら、どんなことでも必ず受けてたつ」ことをひそかに決意する。そして1969年、TBS闘争を経て、吉川・村木両氏から、退社(独立)して日本で最初のテレビ番組制作会社を設立する相談を今野さんに持ちかけられたとき、今野さんは数年前の恩義を果たし、行動を共にするのである(『テレビマンユニオン史』によると今野さんは、当時の決意を誰にも告げなかったが、2000年に吉川氏が他界し翌年開かれた偲ぶ会の席で始めて明かしたのだった)。

『陽のあたる坂道』(1965年)の視聴率が思わしくないということで、演出家の村木良彦さんほかスタッフ数名が降板を命じられる。深夜のスタジオで、出演者の芦川よしみさん達二十数名が局の上層部に対して担当者を交代させないでくれと懇願した。芦川さんは泣きじゃくって訴えたという。その気迫に対して、上層部はいったん「白紙に戻す」ことを約束するが、結局、演出は管理職が担当し、前任者(村木氏)がそれを補佐せよという決着になる。だが、ここからが面白い。演出を任された演出部副部長たちは脚本作りやリハーサルを村木氏に任せ、収録当日はスタジオに顔を出して「ではよろしく」と村木氏に告げて出てゆく。つまり実質は村木氏が最終回まで演出を担当したのだった。痛快な逸話だと思う。

また、今野さんたちがTBS退社~テレビ番組制作会社設立に当たり、TBSに中継車の無償貸与などの談判を行なうのだが、そのときの会長室でのやり取りも胸を打つ。会長(今道潤三氏=当時)は今野さんたちに向かって次のように述べるのである。
一.わしは昨夜、風呂に入ってゆっくりお前たちのことを考えた。
一.さんざん会社に迷惑をかけたお前らだ。叩き出そうかとも思った。
一.しかし、お前らが独立してやっていくという意気込みはすばらしい。
一.わしは気が変わった。お前たちを応援する。
一.約束しよう、TBSは五年間はお前たちを応援する。

そして、TBSはいくつかの番組制作をテレビマンユニオンに依頼し、番組制作費に今野さんたちの本俸分を上乗せして支払うという形態で実際に援助を行なう。立派に約束を果たしたのである。私はこのやり取りと事実経過を知り、誠に深い感銘を覚えた。

いささか唐突だが、筑紫哲也さんが亡くなったとき立花隆氏は筑紫さんのことを戦後最大のジャーナリストという風に表現していたと思う。筑紫氏の出身は朝日だが、後半の人生はTBSのキャスターとして生きた。今野さんたちが培ったTBSの硬派のもっともよき気風伝統といったものは、もしかしたら筑紫さんと番組スタッフたちに隔世遺伝的に引き継がれたのではないか、私は勝手にそんなことを想像している。

そろそろ本稿を閉じなければならない。『テレビの青春』に描かれたエピソードに私は何ともいえないある種の爽快・痛快なものを感じる。そこでは経営者もただの利益追求者ではなくマスコミ人・放送人としての矜持・誇り・志を持っていたように見受けられる。人間の営みは本来そもそも簡単に図式化したり線引きしたりできない、大いなる混沌(カオス)に満ちたものだ。物を作り出す現場の熱気は私にはいつもまぶしい。『テレビの青春』に描かれた逸話の数々は、テレビマンたちの熱い友情と高い志にあふれているのである。今野さんの講演は熱い逸話満載のものになるであろう。

北島町立図書館のカウンター前では、いつものように、講演会に関連した特別展示をしている。1つのガラスケースには実相寺昭雄さんと佐々木守さんの資料をおさめた。板野町に住む大切な友人の三好信司氏に相談して、佐々木守・実相寺昭雄コンビが生んだウルトラ怪獣3体(ジャミラ、ガヴァドンB、シーボーズ)のガレージキットをお借りした。JOJO広重氏(ギタリスト、歌手、非常階段リーダー)からいただいた『怪奇大作戦/京都買います』のミニフィギュア・セット(仏像美弥子とコート姿の岸田森)もひっそりと飾ってある。ぜひ図書館でご覧いただきたい。そして2月21日午後2時半、今野勉さん講演会に、万難を排して結集していただきたい。よろしくお願いいたします。

(2010・02・04/文中一部敬称略/文責=小西昌幸)

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