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文化ジャーナル(平成23年10月号)

文化ジャーナル10月号

採録 池田憲章氏講演/脚本家・金城哲夫(6)

2011年2月27日北島町立図書館・創世ホール(徳島)

2月に開催した池田憲章氏講演会「脚本家・金城哲夫~特撮とドラマを初めて融合させた人」の講演採録を連載でお届けしています。文責は全て創世ホール・小西にあります。(文中一部敬称略)/写真撮影=高橋和之

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ほかにも例えば「バルンガ」という、これは金城哲夫さんの作品ではないが虎見邦男さんの脚本で、空にエネルギーを吸収する風船怪獣が浮いて、東京のエネルギーがゼロになってしまう。移動も自転車を使うようになる。そのまま台風が来て、そのエネルギーを吸ったら地球も飲み込まれるのではないかとなったときに、最後に太陽に向かってバルンガは飛び立ってゆく。本来は宇宙空間をさまよって太陽と一体化して太陽を食べる怪物で、50億年ぐらいをワンサイクルで過ごす。太陽が爆発したら宇宙胞子に戻って、また別の太陽をめざしてゆくという、とんでもない作品だった。しかもその中で由利子を助けようとして背中に自動車の破片を受けた一平君が入院した病院では、ロウソクの炎ではかない命を象徴し、一方東京上空には太陽さえ食べてしまかねない怪物を対比させた野長瀬三摩地(のながせ・さまじ)監督の入魂の作品だった。これなども、ちょっと見ていて驚く。ただ大人の人が見るとけっこう欠陥があるようで、ここが物足りないなどと言われるのだが。当時自分は小学6年生になったばかりだったが、現実の常識が壊れる、新しい論理体系だった。「バルンガ」の中で「バルンガは怪物ではない。神の警告だ/君は洪水に竹槍で立ち向かうのかい/このきちがいじみた都会も休息を欲している。ぐっすり眠って反省すべきことがあろう」というセリフがある。驚かされた。

そういう作品に対抗して、金城哲夫は「2020年の挑戦」を書く。未来の時空間からの挑戦。「ウルトラQ」は東京オリンピックの直後から撮影が始まるが、当時のことなので科学文明はどんどん進めばよいと。ところが「2020年の挑戦」というのは文明が進みすぎた世界が描かれる。人間がいつまでたっても生きている。200歳とか300歳とかになるが、肉体が衰えると機械で補正しても追い付かなくなる。それで若い肉体を求めて地球にやってきた謎のケムール人との対決が描かれる。

これも飯島敏宏さんのアドバイスがあったせいだと思うのだが、万城目がいきなり冒頭ケムール人によって消失してしまう。物語は一平と由利ちゃんとしょぼくれた刑事の3人で進む。このままだとどう考えてもやばい。助けられっこないというような陣容で、アップテンポで展開する。ケムール人が彼らをマークして、それを迎え撃ってケムール人の陰謀を打ち砕く。これも飯島敏宏さんという、非常にスマートでモダンな画面を積み重ねていく中でリズムをつけて行く、「ウルトラQ」の中でもエース中のエースの演出家だが、この監督と組むことで金城の脚本は円谷一さんとはまた違った味わいを生み出すわけだ。

金城さんのシナリオには共作が多いということは、皆さんお気づきと思う。野長瀬三摩地監督にお聞きしたら、金城は円谷プロの社員だったからという事情のようだ。金城さんと上原正三さんは社員なので、シナリオ料も安かったらしい。3分の2くらいの稿料だったようだ。金城さんは当時結婚したてだったから、野長瀬さんは「じゃあ共作にしようか、金城。物足りないところを足せよ」と。で、足されると良くなったのだ。

例えば、「ウルトラマン/バラージの青い石」。アントラーが出てくるお話。謎の砂漠の都市が舞台で、これは野長瀬監督が南川竜のペンネームで書いた台本だが、それに金城が付け足したのが、チャ-タムという神官の神殿に行くと、ウルトラマンの像があるという部分、ノアの神はウルトラマンの形をしていた。これは金城が新たに付け加えたアイデアだということだった。野長瀬さんは「『バラージの青い石』は我ながら良い台本だったと思っているが、金城のアイデアによって、すごくスケール感が出た。自分でも、うまいと思ったもんね」とおっしゃっていた。成田さんは、カラータイマーなしのウルトラマンの像を作った。

「ウルトラQ/南海の怒り」。これは円谷英二さんが「ゴジラ」の前に作りたかった、南海を舞台にした大蛸(おおだこ)と戦う漁師の物語。金城哲夫は「オヤジ(円谷英二)の夢をかなえてやりたいなあ」という思いがあって書いたわけだ。だが撮影するのは難しい脚本だった。何といっても日本が舞台ではない。南海を舞台に原住民が住むところで、しかも海からタコが出てくるという撮影的には難しいものだから、誰も手を挙げなかった。それで脚本は台本倉庫に積んであった。野長瀬さんは「何かないかなあ」と探しに来た。これは野長瀬さんの大好きなジャンルだった。

ハリケーンなどで難破した白人の漁師や探検家が、南洋の未開のジャングルで黒髪の先住民のおねえさんと恋に落ちるという一大ジャンルが1940年代のアメリカにはいくらでもあった。野長瀬さんは、いつかそのジャンルの作品を撮りたいと思っていた。それが台本になっていた。「これ撮ろうよ」、「タコどうするんですか」、「『キングコング対ゴジラ』でこういうシーンがあるから、的場さんに少し撮り足してもらおうよ」ということになる。

金城もダメかなと思っていたのだが、「南海の怒り」をノリノリで野長瀬監督が手がける。東宝の助監督時代から付き合いのある久保明(漁師:雄三役)と高橋紀子(島の娘:アニタ役)をキャスティングして、恋に落ちた2人は日本に帰らず、現地の島に残って結婚するという不思議な作品だった。

スダールは当然海で村人を襲う。熊が山村の人々を襲うようなものだ。だが通訳の南が、島の娘アニタの言葉を紹介し「でも、スダールを恨んだりしてはいけない。スダールはこの島の守り神だと言っている」と伝える。 淳「魔神か……」 由利子「え?」 淳「つまりあの大蛸は外敵の侵入を防ぐ防波堤にもなってるってことだ。島の人たちは閉鎖的だが、平和は維持されている。島の人たちは、スダールのお陰だと思ってるのかも知れん」 雄三「そ、そんなバカな……」 淳「いや、考えられることだ」 一平「スダール信仰ってわけか……」 淳「恐怖が畏怖に替わり、信仰にまで発展した例は、いくらでもある」

これは、「ゴジラ」だ。 金城哲夫が「ゴジラ」第 1作の大戸島のゴジラ伝 説を「南海の怒り」で展 開した。大戸島の周りで ゴジラが生息していて、 普段は普通に暮らしてい るが、魚が取れなくなっ たときに、このままだと 島に上陸されるので、若 い娘を舟に乗せて生け贄にしてゴジラの上陸を防ぐ。スダール信仰と通じる「人間が生き残るために少女を生け贄にする」という非常に冷酷な社会システムであり、誰もそれに疑問を感じなくなってしまったと言う信仰だ。野長瀬監督はこういう話が凄く好きな方で、いい味わいを出した。

「ウルトラマン」は子ども向け作品だが、その中で金城哲夫が描こうとしたのは、決してウルトラマンは万能超人ではないと言うことだった。金城が「ウルトラマン」第1話で出したアイデアだが、ベムラーを追跡している途中で、地球上空で飛行している物体と接触してハヤタ隊員を殺してしまう。ウルトラマンは「すまないことをした。私の命を君にあげたい」と言って共生して自分のミスを防ごうとする。「その代わり君へのお礼として、地球を襲う怪獣たちを僕が戦って倒そう」と。「僕にそうさせてくれ」と言って「ウルトラマン」が始まるわけだ。

「さらばウルトラマン」で、「ウルトラマン」が終わるのかと僕らはそれを見た。正面から円盤軍団が攻めてくるオープニング。まさかウルトラマンが敗れるとは夢にも思わなかった。ゼットンと言う円盤に搭載した《対ウルトラマン・モンスター》が登場し、ウルトラマンが何をやっても全てのエネルギーを吸収してウルトラマンを倒す。「え、ウルトラマンが倒れる?」。で、ゼットンをどうやって倒すのかと思ったら、岩本博士が開発した新兵器で倒すことが出来たのだが、空から赤い球体がやってくる。岩本博士が「光の国の使いだよ」と言い、ウルトラマンは赤い球体に飲み込まれる。

倒れたウルトラマンのところにゾフィが立ち、「ウルトラマン!目を開け!」と言う。僕は当時小学6年生で、1話から見ていたが、あ、これは第1話のウルトラマンとハヤタが遭遇するあのシーンにつながるんじゃないか。1話と最終話をこんな風につなげられるのか、と小学生ながら思った。「もう地球は地球人が守るべきだ。私と一緒に帰ろう」とゾフィがいい、ウルトラマンは「でも私が帰ったら1人の地球人(ハヤタ)が死んでしまうのだ」。「いつまでも地球にいてはいけない」とゾフィにいわれると「それならば、私の命をハヤタにあげて、地球を去りたい。自分はもう2万年も生きたのだ。地球人の命は非常に短い。それにハヤタはまだ若い! 彼を犠牲には出来ない」と言うやり取りがあって、ゾフィはもう1つの生命エネルギーを持っていたので、それを分離してハヤタに与えて終わるわけだ。なんてスマートな最終回だろうと思った。子ども向けドラマ始まって以来の整合性というのか、高い緊張感を持っていて、目がさめる思いがしたことを良くおぼえている。 (次号に続く) (2011・02・27収録/文中一部敬称略/採録文責=北島町立図書館・創世ホール館長小西昌幸)

(2011・02・27収録/文中一部敬称略/採録文責=北島町立図書館・創世ホール館長小西昌幸)

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