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文化ジャーナル(平成23年12月号)

文化ジャーナル12月号

採録 池田憲章氏講演/脚本家・金城哲夫(7)
2011年2月27日 北島町立図書館・創世ホール(徳島)

2月に開催した池田憲章氏講演会「脚本家・金城哲夫~特撮とドラマを初めて融合させた人」の講演採録を連載でお届けしています。文責は全て創世ホール・小西にあります。(文中一部敬称略)/写真撮影=高橋和之

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そこで今度は「ウルトラセブン」にとりかかるわけだ。「ウルトラマン」の途中で市川利明(いちかわ・りめい)プロデューサーがお辞めになって、「ウルトラセブン」では末安昌美さんという、元々は東宝の特殊技術課にいた方がプロデューサーになった。第1話は通常ならTBSだから飯島敏宏さんか円谷一さんがやるのだが、今回は東宝の人にやってもらおうということで、野長瀬三摩地(のながせさまじ)さんにやってもらおうということになる。野長瀬さんが「湖のひみつ」と「緑の恐怖」をパイロット版として演出して、円谷一さんが制作ナンバー5本目の1話(「姿なき挑戦者」)を後で撮るわけだ。

企画段階で「ウルトラ警備隊」から「ウルトラアイ」に題名が変わるのだが、そのときに野長瀬さんが言ったのは、「ウルトラマン」というのは、実相寺さんのような絵の中から出てくるようなファンタジー怪獣があったり、ウーやヒドラが出てくるような作品もあったが、「ウルトラセブン」は「宇宙人の侵略」というテーマで統一すると。バラエティが真髄なのに。ウルトラ・シリーズがバラエティでなくなっていいのか、という内部の問題点があった。その時に金城哲夫さんたちが考えたのが、「じゃあ、ウルトラマンの(脚本・監督)コンビを変えましょう」と。例えば実相寺昭雄さんと佐々木守さんが組み、円谷一さんは金城さんと組み、藤川桂介さんは飯島敏宏さんと組むというチームがあったが、それを解体しようと。

それで実相寺さんは、特に「どうせ変えるなら、金城哲夫とやりたい」と。「佐々木守さんの本は素晴らしいのだが、一度構成をしっかり立てる金城哲夫と僕の演出を組み合わせてみたい。金城、一本僕に作ってくれよ」と言って、「狙われた街」を金城が書き上げるわけだ。あれは、導入部がスモッグの漂っているような街を、マスクをつけた小学生たちが曇り空の下歩いてくるという、ちょっと佐々木守さんみたいなシナリオだった。金城作品の中でもかなり緊張度の高いものを描くことになる。

「ウルトラセブン」は、もともとは「ウルトラアイ」というタイトルだった。だから放映1話「姿なき挑戦者」で、透明宇宙船をモロボシ・ダンが見た時チカチカッと目が光ったり、あるいは「闇に光る目」とか、「緑の恐怖」でチルソナイトの隕石が見抜けないとか、目に印象を与える話がある。だから、ウルトラアイで変身する。

金城が「ウルトラアイ」という初期タイトルを言ったものだから、中野稔さんなんかが、じゃあ今回は目の変身がポイントだろうと、金城を喜ばせてやれというので中野さんが提案したのが、ウルトラアイを装着したときに、ババババと火花が出るイメージ。この火花を、ネズミ花火でやりたいと。スタッフ、爆笑だ。「ネズミ花火はないだろう」と。ところが高野宏一特技監督だけが「中野、それ面白いじゃないか。やろうよ」と言った。

黒い板に釘を打って、ネズミ花火を引っかけて火をつけると花火がまわる。それをハイスピード撮影して、マテリアルの炎をサンプリングして、合成のマスキングの中に組み合わせる。それをコマ送りでアニメーションにする。アニメの絵をナマの炎から作りたいということで、ウルトラセブンの変身シーンは完成している。

ネズミ花火の炎のパーツを抜き出して、それを組み合わせて、それは「ウルトラアイ」という印象を残したいということで、ウルトラマンのように真上からではなくて森次晃嗣(浩司)さんを柱に縛り付けて、「絶対動いてはいけない」と言って(笑)、移動車のカメラで引きながら、どんどんサイズがあがってゆくとそこにセブンのパーツが形作られてゆく。ズームレンズがない時代に、そういうチャレンジをした。変身映像の過程で鼻が残ってしまって、森次さんは「ちょっとカッコ悪いですよ、中野さん」なんておっしゃったらしい。

僕は「ウルトラQ」も「マン」も、もちろん大好きだが、金城哲夫作品を論じる上においては「ウルトラセブン」が要(かなめ)を握るだろうというのは、ファンタスティック・コレクションを作っていた時から考えていた。当時このムック本を作ったのは、1979年か78年だが、「ノンマルトの使者」は非常にどう評価していいのか不安定な作品だった。

人間が要するに侵略者だった。「本当の地球人はノンマルトだった」ということについていけない人たちが結構多かった。僕はSFファンなので、どうもこれは進化上のたたかいだと。地球人がネアンダルタール人を進化の果てに追いやったように、人間は戦闘というパーツを持ったがために、他のあらゆる万物の生き物を押し倒して、色々な物を手に入れてきた。

「ノンマルト」というのはとても不思議な名前だが、皆さんこれは何のことがご存じですか? これは「ノン・マルス」なのだ。「マルス」は火星だが、火星は赤い星だったので、戦いの武人の守り神だった。ヴィーナスと対照的なのだが、戦う人を守ってくれるのが、マルス(火星)だった。それを、仰(あお)がない人々のことを「ノンマルト」と呼んだ。金城は磨き上げたセリフの中で物語を展開した。

「ノンマルトの使者」は、不思議な構造を持っている。あの物語に説得力を与えるのはもちろん、平凡な海を愛した真市君という少年の霊の言葉だ。「実は地球はノンマルトのものだ。人間はノンマルトから地球を奪ったのだ」と少年が言った時に、ダンの中に衝撃が走るわけだ。「《ノンマルト》……。僕の故郷・M78星雲では、地球のことを《ノンマルト》と呼んでいる。《ノンマルト》は人間のことである。だが、少年は確かに《ノンマルト》と言った。人間でない《ノンマルト》がいるというのか」。これぐらいあざやかにM78星雲の宇宙人の視点を使ったドラマはないわけだ。

元々は、もっと違う台本があったが、たまたま満田かずおさんと会えなくて、実は一晩考えた時に「待てよ、こういう手があるかな」ということで、金城の中で一気に改稿して全く面目を一新した作品である。しかも、これにはキリヤマ隊長も気が付いていたのだが、「そんなことがあるか。やっぱり攻撃だ」「海底も我々人類のものだ」とキリヤマは叫ぶ。この物語の構造??。それを聞いて言葉を失う、ダンとアンヌ……。それはやはり、「宇宙人のドラマがここまで来たか」と、物凄く胸迫るものがあった。

その余韻の中で、「ウルトラセブン」の最終回がやってくる。ウルトラセブンの最終回というのは、もう当時テレビ放送を見た翌日の学校で大騒ぎになった作品だった。

この作品を見ると、不思議なことにアンヌが「ウルトラセブンの正体は私たちのダンだったのよ」というのだが、逆だと思う。ダンの正体がウルトラセブンだったわけで、ここらは意図的に金城の中で設定してあって、ウルトラセブンのヒューマニティの象徴として、モロボシ・ダンが作られている。

モロボシ・ダンというキャラクターは、森次さんがお若いせいもあるのだが、「北へ還れ!」で母親が来てフルハシを辞めさせようとすると、「え、フルハシ隊員、辞めちゃんですか、えー」みたいに驚いたり、マックス号を見て「かっこいいなー」と言ってアマギ隊員に「おいおい」と言われたり、凄い青年的なものとして描かれた。M78星雲人でもウルトラマンよりも若いんじゃないか、この人、と思わせるような若々しい感性がそこにある。殆どの物語ではそれは傷にはならないわけだが、それはキングジョーの回(「ウルトラ警備隊西へ」)に、ペダン星人に「そう思っているのはウルトラセブン、あなただけよ」と言われた時に、地球人モロボシ・ダンとM78星雲人ウルトラセブンに引き裂かれる。でもそこに人間的ドラマが生まれるわけだ。「ウルトラセブン」というのは、金城哲夫が持っていたテクニックの総決算をなす作品だった。(次号に続く)

(2011・02・27収録/文中一部敬称略/採録文責=北島町立図書館・創世ホール館長小西昌幸)

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