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文化ジャーナル(平成24年1月号)

文化ジャーナル1月号

採録 池田憲章氏講演/脚本家・金城哲夫(8)
2011年2月27日 北島町立図書館・創世ホール(徳島)

2011年2月に開催した池田憲章氏講演会「脚本家・金城哲夫~特撮とドラマを初めて融合させた人」の講演採録を連載でお届けしています。文責は全て創世ホール・小西にあります。(文中一部敬称略)/写真撮影=高橋和之

「ウルトラセブン」の主人公の名はモロボシ・ダン。漢字表記は、「読売新聞」などでは昔から「諸星弾」となっていた。諸星弾というのは考えてみると凄い名前だ。長野県の方には本当に諸星という名があるらしい。諸橋という名前は僕らの仲間にもいたが、諸星という名はどこから持ってきたのだろうか?

宇宙人のヒーローとしてはふさわしい名だと思う。ある時自分はぼんやりNHKのテレビ番組を見ていた時、偶然目にしたのだが、ふと見ると詩が写っていた。そこに「諸々たる星々の……」と書いてある。「え、これ何?」と思ってよく見るとこれは実は宮沢賢治についての番組だった。このときの詩の出典は不明なのだが、「姿なき挑戦者」でモロボシ・ダンは山男の恰好で登場する。それは山で自分の命と引き換えに仲間を救った薩摩次郎という勇気ある地球人の姿かたちをウルトラセブンが借りたから、山男なわけだ。

設定を見ると、セブンは恒点観測員340号。太陽系の地図を作るために遠隔の太陽系を渡り歩いている地図製作者みたいな人。それでハッと気づいたのだが、宮沢賢治作品の中では「風の又三郎」もそうだが、鉱石を研究する山男のような設定がよく出てくる。それで最終回、ウルトラセブンは夜明けの頃に星となって空に帰ってゆく。「よだかの星」だ。宮沢賢治のことは、大伴昌司も大好きだったし、金城さんも非常に好きだったということは、確かめられていることだ。

そう考えると、ベムラーを護送中だった宇宙警備隊員ウルトラマンの物語のあとに、もっとスーパー・ファイトを描いてもいいのに、金城はそうしなかった。宇宙の地図を作るためにふと立ち寄った太陽系で、宇宙人の侵略に苦しんでいる地球人を守ってやりたいと思って、自分の(個人の)意志でとどまったM78星雲人の物語を作ったのだ。「『ウルトラセブン』とはどういう物語か」と問われたら、僕はそう答える。

僕はテレビ・ドラマに対して、全部傑作であることを求めるのは無茶があると思う。1人の人が作るのではないから。何人もの人が関わり、色んな人の能力をかけてやったことだ。佐々木守さんからお聞きしたことだが「僕がシリーズ構成をやるのであれば、僕の世界観を守りたく思うはずだ。だが金城は、全く金城哲夫的ではない物語を喜んでくれた。怪獣退治の専門家になることを金城は非常に恐れた」と。こいつは邪魔だから殺せばいいというのは、金城の物語の中にはないコンセプトだったのだ。

「ウルトラセブン」をやり終えて、今度は「怪奇大作戦」。プロデューサーの橋本洋二さんと正面からぶつかって、正直、金城哲夫的にはこれは佐々木さんに主導権を渡した方が良いかも知れないと思って、ずいぶん悩んだ作品だ。

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「怪奇大作戦」はダブル主人公である。三沢京助(勝呂誉)の行動力と牧史郎(岸田森)の推察力(犯罪の真実を分析する能力)、2人がセットにならなければ「怪奇大作戦」は完成しない。このパイロット版として金城が「人喰い蛾」を作った。蛾の麟粉で人間が溶けるというグロテスクな部分で映像的に円谷英二が納得できなくて、ある種「怪奇大作戦」は設定と人物を金城が編成したところで、佐々木さんや実相寺さんが完成させるわけだ。

竹内博さんなどとよく話したことだが、SRIの所長が的矢(まとや)、親友の刑事が町田警部で、犯罪を見抜くのが牧史郎。なんでMばっかりなんだ(笑)。そこらあたり、わざと整理していない。皆さんがシナリオ・ライターならそんな名前つけますか?

僕は金城さんの「吸血地獄」なんて、えも言われぬホラー感があって好きなのだが、非常に様々な可能性を持っている。今でも何年かごとに「怪奇大作戦」を改めて見ると、全くよくこんな作品がテレビ・ドラマであったものだと思う。

金城哲夫は、円谷プロの視聴率が低迷する中で「沖縄に帰ろう」と考える。円谷の企画文芸部は金城哲夫のために作った部署だった。円谷プロはそれを廃止してプロデューサー・システムに移行し、金城には、一シナリオ・ライターとして書いて欲しい、でもどっちかというとプロデューサーでやって欲しいと。シナリオ・ライターの金城をやや評価しない人事配置になるわけだ。それは特撮ブームが去ったことも大きかった。そんな中で彼は沖縄に帰る道を選ぶ。

彼には尊敬する放送作家が何人かいた。1人が青島幸男。彼は後に政治の道に入り、東京都知事になる。彼とは「いまに見ておれ」で組んだ仲だ。青島さんとは呼吸があって、いい相談役だった。

もう1人が、直木賞を受賞された藤本義一。「11PM」の司会をやった人だ。藤本さんは週2回「11PM」に出て、色んな人に会って、ストリッパーとか夜の街の女の人と会いながら、ニコニコと平然と、これこそが人間だとやっていく部分で作家という道と、人間らしい部分をやる道を目指した。金城さんは「俺もそうなろう」と思って、文筆の志を立てて沖縄に帰る。

結局、金城さんは37歳で、酔って部屋に入ろうとして亡くなる。色々苦悩された。この辺のことは、上原正三さんや山田輝子さんの本を読んでいただきたい。僕は、ファンタスティック・コレクションの編集に関わり23歳で商業出版の世界に入った。そこで金城さん達と一緒に仕事をしていた朝日ソノラマの村山実さんなんかと付き合ったからこそ分かることなのだが、駆け抜けた数年間だった。

非常に幸せなことに、その仕事?フィルム?の中に金城哲夫が残っている。金城哲夫が築き上げようとしたことは、少しの欠落もなくフィルムの中に結晶しているのだ。

子どもの頃、僕は「お前が大人になったらこんなもの(特撮ドラマ作品)は駄目になるよ。子どもだからこそ面白いんだ」と言われた。僕は11歳で、「何言ってるんだ、大人が作った物語じゃないか、俺たちが気づいたけれども、大人になったって絶対に面白いんだ」ということを心の中に誓って、竹内博さんや安井ひさしさんに会ってそれを励みに研究の道を進んできた。

もっと成田亨さんとかスタッフの方からお聞きした話があるが、もはや時間がない。金城さんは今までにないパターンを作るために本当に呻吟された方だった。金城さんの後に色々なタイプのストーリーが出来て来た。皆さんにぜひ「Q」「マン」「セブン」「怪奇」そして「戦え! マイティジャック」に接してほしい。「マイティジャック」最終回は、金城哲夫の最終回4部作の末尾を飾る傑作だ。ぜひDVDやシナリオで接して受け取ってくれればと思う。

あなたが、テレビの前に立ったとき、あるいはシナリオを手にした時、そこに金城哲夫は生きている。読めば読むほど僕らに語りかけてくれる作家だということを、没後35年たった今、改めて思う。

もっと話すべきこともあったかと思うが、限られた時間の中で僕が聞いた金城哲夫さんがどういう思いで作品に挑んでいたのかということを、少しでもお伝えできればと考えて、語らせてもらった。どうもありがとうございました。(完結)

(2011・02・27収録/文中一部敬称略/採録文責=北島町立図書館・創世ホール館長小西昌幸)

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