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文化ジャーナル(平成24年3月号)

文化ジャーナル3月号

話題の自伝『桜三月散歩道』刊行 マンガ家・長谷邦夫先生に聞く

長谷邦夫 ながたに・くにお マンガ家、大学講師(マンガ論)、栃木県在住

小西昌幸 創世ホール企画広報担当


小西
創世ホールと大変ゆかりのあるマンガ家・長谷邦夫先生の『桜三月散歩道 あるマンガ家の自伝』(水声社、2012年1月10日、本体3500円)が刊行されましたので、電子書簡インタビューをお願いすることにしました。今日はどうかよろしくお願いいたします。刊行、おめでとうございます。ついに出ましたね。
長谷
自伝なるものを版元から注文されるなどは、思ってもみませんでしたよ。でも、オーダーされて書けないのでは、小説も書いてきた人間としては落第です。どんどん書いていってみました。自分の人生には、いろいろな出来ごとがありましたから、材料には事欠きません。今、気がついたことですが、ぼくの作品のファン諸兄について、もっと書けたら良かった。貴兄のことは、書けたので良かったと思います。作家は読者によって生きていますからね。
小西
私にとって特別なマンガ家である長谷先生の自伝は、待ちに待ったものでした。書き下ろしで四六判上製409頁という、凄い分量ですが、執筆から刊行までのいきさつについてお教えください。
長谷
特別に変ったことは無いんです。「先生がお書きになっている《ギャグ・ナンセンス漫画史》は、まだまだ時間がかかるでしょう。その前に《クロニクル》をお願いします。」ということでした。そう言われてみますと、その通りです。確かにまだまだ時間が必要でした。でも、ぼくも「トシ」です。これまでのコトだったら、素直に早く書けそうだ…と感じ、OK致しました。850枚が目標で、それを少々超えても良い~という担当の下平尾氏からの提案で、25章ほどのテーマを出しました。
小西
私が先生の栃木のご住所を知ったいきさつについて。私は1999年10月に柴野拓美先生(SF同人誌『宇宙塵』代表)の講演会を企画開催しました。その準備段階で、例の「第1回日本SF大会」の集合写真を柴野先生からお借りし、ポスターやチラシに使用しました。長谷先生にもぜひお送りして、私が中学時代からのファンであることもお知らせしようと考え、徳島県立図書館などにも問い合わせて住所を調べたのです。
『コミック・ボックス』で連載されていたようだから編集部に聞けばどうかという助言を得て、やっと先生のご住所を知ることができたのでした。それがきっかけで30年ぶりに手紙をやり取りするようになり、2001年3月の長谷邦夫先生講演会「漫画風雲録~トキワ荘物語」へと結実したのでした。本書の終盤にこのあたりのことをとても詳しくお書きいただいていて、これも感激しました。
長谷
そうでしたね。この時はビックリもし、感激しましたよ。 そして北島町へも行け、多くの町民の皆さまから、暖かい声援をいただき、古くからのファンの方ともお会い出来たんでした。こんなビッグ・チャンスを作って下さった小西さん。ぼくは超素晴らしいファンを得たんです。マンガ家が「存在」出来るのは、こうしたファンの皆様あってのことです。
小西
別の場所に書いた「長谷邦夫クロニクル」という文章でも述べたのですが、長谷先生は驚異の多面体なのです。

本の表紙

長谷先生の足跡をきちんと記録する必要があるぞ、ということは、先生と深く知り合うほどに痛感するのですが、あまりにも幅が広くてしかもどの活動も本格的なので、フォローがまあ大変なのです(笑)。SFと漫画とジャズぐらいはかろうじてフォローできたとしても、現代詩や映画や短詩系表現や小劇場演劇やゴールデン街の交流のことまでは幅が広すぎて対応しきれない。「やはり長谷邦夫のことは長谷邦夫本人にしか語りえないのだ」というのが私の結論だったのです。だから、この本の刊行はとてもありがたいです。戦後の周辺文化史を俯瞰する上でも実に貴重な証言記録になっています。

長谷
記録・証言。大切ですね。自伝が単なる自慢集ではつまらないですから、その「多面体」なる《現場での体験》をより具体的に書いてみました。特にSFやマンガにおいては、日本のサブ・カルチャー史において、ひとつの「証言」としての価値もあるのではないか~と、考えました。この気持ちは、大学での講義テーマにもつながっていったんです。
小西
表紙は意表をついていますね。満開に咲き乱れた桜の木があって、それをバックにちょっと突っ張った小学生高学年とおぼしきの男の子が上半身裸で、大きなサングラスをかけてこちらをにらんでいる写真。水声社の下平尾さんのお話では、先生のツッパリ精神に対抗した表紙にしたんだということでしたが。
長谷
ホント、ほんと! びっくりさせられました。デザイナーさんが、ぼくが形式ばった伝記ではないものを目指して書いたことを、良く理解されておられたと思います。それと、編集さんの度胸! コレですね。
小西
1974年秋、山下洋輔トリオの欧州ツアーに先生が同行された時の回想も、強烈な逸話の連続でした。帰国の飛行機に乗る際は、パリのタクシーがストライキで利用できず、分割したドラム・セットを4人でそれぞれ抱えて地下鉄で空港まで運んだということで、何とも波乱のツアー体験だったのだなあということがよく分かりました。よくもまあって感じですね(笑)。
長谷
若かったから出来たことです。ジェットに乗ったら、四谷シモン氏に再会! というハプニングも…。それが有ったことから、北島町講演の際、徳島県立近代美術館での再々会! これは、小西さんの《鋭い勘!》によってでした。
小西
足立正生氏がアラブに飛び立つ前に別れのあいさつのため、赤塚さんと長谷さんに会いに来るシーンがあって泣けました。映画人との深い交流のきっかけが、ゴールデン人脈を背景にした『まんがNo.1』での佐々木守さんの対談企画だったと知って、なるほどと思いました。
長谷
映画大好き人間だった赤塚氏とぼく。盛んに新宿ゴールデン街で毎夜呑むようになったぼく。そんなことから生まれた出来事ですね。あの街、酒場街があったお陰でしょうかね。ここは、今も存在して機能している。
小西
70年代末期から80年代半ばにかけて、先生は小劇場演劇もずいぶんご覧なっておられるのですね。これは、実は日本のパンク・ムーブメントが登場し活気があった時期と微妙に重なっているのです。私はその頃、パンクの自主盤収集を夢中でしていたのですが先生は演劇を見まくっていたのですね。興味深く拝読しました。
長谷
パンク! 日本の古い芸術体質を、改革するエネルギーが、あの時代にはありました。ジャズの山下洋輔も、そうした時期に躍動しはじめています。演劇音痴だったぼくを「お芝居」に引っ張り出したのはAさんという若い女性編集者です。少女マンガも面白い!ということを、ぼくは彼女から教えられたんです。マンガ家水野英子さんを知っていたのに……、その価値を見過ごしていました!
小西
私の職場の講演会企画は良い意味で少々偏っていまして、長谷先生や柴野先生の講演会のほか、池田憲章氏を講師に佐々木守さんを顕彰したり、辻真先先生ご本人に足跡を語っていただいたりしています。辻先生は朝日ソノラマのサン・コミックスの帯を書いておられた関係で、長谷先生の『東海道戦争』の帯も担当されたんですよね。私は結局、長谷先生の磁場の中で(手の平の上で)仕事をしているような気がするのです。偉大な長谷先生と知り合えて本当に幸福を感じます。
長谷
いえいえ、ぼくはただ、自分が面白いと感じたものの現場に首をつっ込むばかりで、たいしたことはやれていないのです。ですから、その本当にすごいモノの現場を、書き残してみたかった。それが、今度の伝記ですね。
小西
興味をもたれた人はぜひこの本『桜三月散歩道』を読んで欲しいと思います。あまり本の内容に踏み込むのはもったいない気がしますので、あえてこの辺で中身について触れるのは切り上げることにします。 ところで先生は描き下ろしの新作マンガを準備されているということですが、進行状況と刊行予定をお教えください。
長谷
(2011年)3月11日の大震災のあと、某マンガ編集さんからのメッセージがあったんです。「マンガを描きましょう」と。原稿の発注ではありません。でも、描いてみたんです。72頁。それを彼に送ったところ、某社の社長の眼にとまり「単行本にするため、あと72頁をふたつ描け」ということに発展しました。もう完成しております。
小西
楽しみです。終わりに読者の方へのメッセージがあれば。
長谷
つたない伝記ですが、どうぞご愛読下さい。面白い! という点では保証致します。ちょっと高価なのが欠点です。図書館へのリクエストで、すでにお読みいただいております。マンガは道出版という版元から刊行予定です。どうぞよろしくお願い致します。
小西
新作、期待しております。今日はどうもありがとうございました。

(2012年3月2日電子書簡にて取材/文中一部敬称略/文責=創世ホール・小西昌幸)

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