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文化ジャーナル(平成25年1月号)

文化ジャーナル1月号

採録◎東雅夫講演会
遠野物語と怪談の時代(8)

2012年2月26日に開催した東雅夫氏講演会「遠野物語と怪談の時代」は、約200名が県内外から集まり、熱気あふれる催しになりました。その講演採録を連載でお届けします。文責は全て小西昌幸(当時創世ホール館長、現町教委事務局長)にあります。(文中一部敬称略)/写真撮影=高橋和之


講演会の写真

そんなこんなで鏡花は怪談にのめりこんでいく。実は鏡花と柳田國男というのは、若い頃からの大変親しい間柄なんですね。ですから柳田が怪談に関心を持った、ひとつの動機にはおそらく鏡花の存在が大きかったのではないかと思います。で、そのことは『遠野物語』が刊行されてすぐに、鏡花はさっきの『新小説』という雑誌に「遠野の奇聞」というタイトルで長い書評を載せているんですね。それをみると、鏡花は手放しで『遠野物語』を絶賛しているわけですよ。

ところが当時の文壇で島崎藤村とか田山花袋とか、柳田と親しかった作家たちが何と言っているかというと、大変腰の引けたですね、困惑した感じの評価、これは文人の趣味の産物であるというような、非常に距離を置いた表現をしていて、実はあまり誉めている人はいないんですね。そんな中にあって、鏡花は唯一『遠野物語』を大絶賛していたという、そんなこともございまして、で、そんな両者の関係をあらわすのが「怪談百物語」という、これは『遠野物語』が刊行された翌年??明治44年??に『新小説』に特集として載ったものでありまして、冒頭が柳田國男なんですね、巻末が泉鏡花でありまして、水野葉舟も参加しておりますし、他にも怪談会の常連であった作家や画家が文章を寄せている。

その冒頭??トップ・バッター??としてまず柳田が出てきて、しかも『遠野物語』のことから怪談百物語特集の話を始めているということですね。ですから当時の柳田は、完全に怪談というスタンスで『遠野物語』を考えていたんだろうと思います。

もっと後になって、これは『主婦の友』という最近まで出ていた雑誌でありますが、これは昭和になってからのものですが《内職副業実験号》という何か凄い特集タイトルになっています(笑)。この号に実は「幽霊と怪談の座談会」という特集が載っていて、右から三番目にいるひげのおじさんが柳田國男、左から二番目の細面(ほそおもて)が泉鏡花であります。

ですから、柳田は後に、昭和になってからも、鏡花と一緒に怪談会に出て、盛んに怪談に興じていたんですね。「幽霊と怪談の座談会」というタイトルがついておりまして、ちなみに左上のところの絵は小村雪岱(こむらせったい)という鏡花とコンビを組んで名作を残している日本画家、この雪岱の挿絵が付いている大変豪華なものです。これは鏡花が語った海坊主の絵なんですが、非常にリアルでいい絵を描いています。

『遠野物語』がまさに生み出されようとしていたその時代というのは、鏡花をはじめとして文壇で怪談文芸やお化け話に対する興味が非常に高まっていて、その大きな流れの一つの現われとして『遠野物語』はあったんですよといえるように思います。

私など、もっぱらお化け方面からこの時代に興味を持って色々探っていくと、どう考えても『遠野物語』というのはね、柳田が最初に考えていた構想では怪談実話集としてまとめたんであろうというしかないなと。そのために葉舟と喜善という2人の役割が極めて大きいものですし、もうひとつさっき言い忘れましたが、葉舟が喜善の語ったことを彼なりにまとめている。それはつまりいってみれば水野葉舟版の『遠野物語』なんですけれども、大変残念なことに、これは近年になるまで雑誌に載ったままで放置されていたんですね。一冊にまとまることがなかった。それで一般に知られることもなくて、さっき御紹介した『もう一つの遠野物語』という本でようやく明るみに出たんですが、葉舟の書いている『遠野物語』と柳田の『遠野物語』を比べると、葉舟の書き方は簡潔に事実のみを明らかにしようという、そういう姿勢がにじんでおります。

ですから文学として読んだら、それは柳田の『遠野物語』の方が圧倒的にレベルは高いんですが、じゃあ葉舟はどうしてそういう書き方をしたのかということになると、おそらく彼自身のポリシーとして実話として記録するからそういう書き方をしている。葉舟は、小品文といわれる詩的な掌篇作品の大家であります。ということはつまり柳田以上に怪談を、演出をして、詩的な文章で情緒的に書くということは、お手の物だったはずなんですが、彼の怪談関係の文章というのは全て非常に事実関係だけをぼそぼそと綴っていく。ある意味、面白味のない文章になっている。彼は、やれば出来たはずなんですが、あえてそういう方向には背を向けて一つの記録としてですね、実話を書きとどめるということをしていたんだという、そういう作品ではないかと思うんですね。

ですから柳田の『遠野物語』が民俗学の始まりを告げる名著ということで、今「百周年」が盛大に祝われています。それに対して知られざる存在であった2人の作家が、私のつたない本を一つのきっかけにして、もう少し色んな形で研究が進んでいくようになれば、著者としても本望であります。

ここに写っておりますのは遠野で有名なお化け屋敷でございまして、北の方の恩徳(おんとく)という土地にありました。これは『幽』で取材に行ったときに探訪してきたんですけども、本当にちょっとねえ、ここはしゃれにならないな、というぐらいの不気味な廃屋でございました。ところが取材後1年ぐらいして、今は全くとり壊されて、更地であとかたもなくなっているそうです。記念にお目にかけました。時間の関係で駆け足になってしまい、申し訳ないんですけれども、こんなところで今日の私の話は終わりにしたいと思います。どうも御静聴ありがとうございました。(完結)

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