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文化ジャーナル(平成20年5月号)

文化ジャーナル5月号

宮司ブルースマン・神東正典氏に聞く

神東正典●ベーシスト、ヴォーカリスト、鳴門市金刀比羅神社宮司

小西昌幸★創世ホール企画広報担当

小西★以前から地元でユニークな活動をしている方に「文化ジャーナル」でスポットを当てたいと考えてきました。今日は鳴門市の神東正典(かんとう・まさのり)さんにご登場願うことにしました。これは電子書簡による取材です。よろしくお願いいたします。まず生年月日をお教えください。

神東●1957(昭和32)年2月22日で、今51歳。小西さんの一級後輩ですね。

小西★神東さんは鳴門市金刀比羅神社の宮司さんをされていて、お父上も同神社の宮司さんだったということですね。お名前に神という字があるように、代々神職のお家だったということですか。

神東●我が家は代々社家(しゃけ=神社の家柄)で、私は18代目です。系図を見れば先祖は平家で600年ほど前に京から都落ちしてきたようです。

小西★最近知ったのですが、高校は鳴門高校だから私と同じですね。

神東●そうです、鳴高の後輩ですよね。最初吹奏楽部に入りテナーサックスを吹いていましたが、やはりギターやバンドがやりたくなり、高校2年のとき友人と視聴覚室でデビュー・ライヴを敢行。ヴォーカルとリズム・ギターでしたが、3年の時にベースが抜けたので、ベースに持ち替えました。歌とベースは難しいんですが、最初からやってよかったです。当時やっていたのは村八分でしたねえ。

小西★大学時代のことをお聞かせください。

神東●大学は国学院大でした。父親の「神主の免許取らんと許さん!」という意見もあり、東京にも出たかったので。高校の時からバンドは遊びではなく、真剣にやるのが当たり前でした。学内の「甘ちゃんの学生バンド」は反吐が出そうで1日で辞めました。

小西★神東さんのプロ音楽家の人達との交流人脈は恐るべきものだとかねて敬服しています。東京時代の活動遍歴を手短かにお聞かせください。

神東●当時は黒人音楽にどっぷりハマり、とにかく少しでも本物に近付きたくて、アルバイト自活生活でしたが、生活費の殆どをレコード代につぎ込み、ブルース、ソウルを聞き込みました。で、学生バンドは嫌だったので雑誌のメンバー募集や貼紙の「真剣にやってそうな人」とコンタクトを取りセッションを繰り返し、バンドを組む試行錯誤の日々でした。大学卒業の際、「バンド活動を続けられる会社」を自分で探し入社。バンドの技術向上に精進してCALDONIAというバンドでコンテストに出て賞をいただいたり、ライヴハウスに出られるようになりました。そうして自主イヴェントをやったり精力的に活動している内に、プロの先輩ミュージシャンや事務所の方から声をかけていただくようになりました。憧れの永井隆さん(元ウエストロード・ブルース・バンド)のバック・バンドに誘われた時はとても嬉しかったです。即座にサラリーマンは辞めました。その後自分のバンドとは別に近藤房之助さんや森崎ベラさん、吾妻光良さん、妹尾さんなど、数多くの日本のブルース界の人達と親しくなりバッキングやセッションをさせていただきました。

小西★当時の印象深い出来事を2つあげるとしたら?

神東●【エピソード1】1981年4月渋谷・屋根裏でのウシャコダのライヴ。たまたま客で見に行っていたが、日の出の勢いのウシャコダに嫉妬したマイナー(という店)の阿呆な客の一群がステージ・ジャックに乗り込んできてステージにビール瓶投げたりしてつぶしにかかり、キレたギターの悟君がギター・ヘッドで応酬。ステージ上は騒然となり、気付いたときは私もステージに駆け上がり、その最低野郎共を殴りウシャコダのサポートをしてました。後年、同バンドの藤井君と当時の裏話で盛り上がり、以来藤井一派は四国にしょっちゅう来ることになった。

【エピソード2】84年近藤房之助さんとのセッション・バンドで下北沢音楽祭に出演、共演者はチャー、金子マリ等の重鎮ばかり。司会は駆け出し時代の小堺一機と関根勤。終演後、知人の女性3人が深夜まで私に張り付き下北の町を呑み歩き、行く先々で「今日の演奏良かった」とお客にいわれ、羨ましがられたことで俺もようやくこんな身分になったんだと、とんでもない勘違いをしたこと。そのために現在に至っている。

小西★徳島県鳴門市の実家に戻った直接のきっかけは?

神東●1991(平成3)年に父が入院病没しまして、同時に自分の東京での生活、音楽活動などの行き詰まりなど色々あり、人生で一番悩みましたが代々続いてきた社家の跡を継ぐ決心をしました。それで帰京し、宮司の辞令を拝命しました。

小西★90年代に神東さんの神社の秋祭りにゼルダが出演したことがありましたよね。地元の高校生バンドや婦人会の日舞やおじさんのカラオケなどがあって、ラストがゼルダでした。地域に溶け込んだ素晴らしい企画で感銘を受けました。徳島で神職をやりながらさまざまな活動を仕掛けて来られたわけですが、その足跡を簡単に振り返っていただけないでしょうか。

神東●徳島に引き上げる少し前、長年一緒にリズム隊を組んでいた岡地明君が加入したボ・ガンボスが90年前後大ブレイクして、私が四国ツアーのコーディネイトをさせていただくことになりました。それをきっかけにしてイヴェンターの真似事をすることになりました。以後、東京時代の友人・先輩などが「四国の神東の所は良かった」といってくださっているようです。独特の接待が楽しかったようで、それが口コミで広まったようですね。単独でもボ・ガンボス、どんと、KYON、ゼルダ、サヨコオトナラ、アマナ、ローラー・コースター、ハイ・タイド・ハリス、ウシャコダ、藤井康一&LJB、うつみようこ、片山広明&ミニ渋さ知らズなどなど友人先輩を招いたり、ツアーのコーディネイト、オーガナイザーとしての活動をしぶとく続けています。

演奏の写真

神東氏のバンド《黒神》の演奏風景。左端が神東氏

小西★ご自身が徳島に戻ってから結成された、《高徳ブルース・オール・スターズ》と現在の《黒神(こくじん)》についてお話ください。

神東●徳島に戻り、同時期香川県高松市に帰郷した黒川を徳島でのライヴ・セッションに招き、その発展形で94年に《高徳ブルース・オール・スターズ》を結成し、CD「御利益」を作りました。バンドは97年10月に塩江でのライヴを最後に活動停止。99年10月から、黒川・神東・的場で《黒神》を活動させています。東京にも進出し、06年末ファーストCD「粗品」を発表し好評発売中です。

小西★今回5月31日に、当館2階ハイビジョン・シアターで服田(はった)洋一郎さんとのコンサートが実現する訳ですが、抱負を語ってください。

神東●服田洋一郎氏(=はっちゃん)は近藤房之助さんとブレイクダウンをやっていた人で、私が19歳の頃から憧れ続けた日本ブルース・シーンの首領です。四国では、ここ数年私達黒神がはっちゃんのバック・バンドをやらせてもらっていて、とても光栄なことです。一見、破天荒なはっちゃんのステージングですが実はとても音・リズムに厳しい方です。出演後、「お前今日は何回ミスしたな」とダメだしを言われ、怖いですが大変勉強になり、毎回気が抜けません。すばらしいプロフェッショナル・ミュージシャンであり、私の永遠の師匠です。また彼は日本一のブルースマンであり、元祖パンク・ロッカーでもあります。われわれ黒神も頑張って前座演奏で露払いさせていただき、後半はサポート演奏させてもらいます。どうか皆様、一人でも多くお友達にお声がけいただき、ご来場下さいませ。

小西★期待しております。ありがとうございました。

(2008年4月27日電子書簡にて取材/文中一部敬称略/文責=創世ホール・小西昌幸)

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